国文学者であり民俗学者、そして歌人・釈迢空として、独自の学問を築き上げた折口信夫は、「怒れる人」であったという。

 

 膨大かつ独創的な著作で今なお多くのファンを惹きつけてやまない折口の、そのような次第に着目した好著に木村純二『折口信夫-いきどほる心』(講談社→講談社学術文庫)がある。この本のオビの文句は「怒りを忘れた日本人へ」となっている。

 

 最近、なにかと、この一句を思い出す。ま、私自身が「怒りを忘れた」人間になり果てているという、引け目があるのかもしれません。たとえば政治の話にしろ、あるいは社会的な事件にせよ、世の中、なんでも座視してやりすごすような風潮がありませんか。これを1つの社会現象と考えると、当然ながら、その風潮は野球にも及ぶ。だから、時折、怒りの声があがると、はっと我に返ったような気がする。

 

 思慮が足りないバッター

 

 たとえば5月28日の巨人-広島戦。延長10回、3-2で広島が勝ち、対巨人戦7連勝を決めた試合である。

 

 宮本慎也さんは怒っていた。

 シーンを2つあげている。巨人2点リードで迎えた5回裏1死二、三塁。打者・脇谷亮太は、高めのスライダーをセカンドフライ。

 もう1つは同じく2-0とリードした6回裏2死満塁で小林誠司。カウント3-1から外角ストレートをピッチャーゴロ。

 

 追加点のチャンスをのがし、7回表にはブラッド・エルドレッドの2ランで同点となった。そして10回表に西川龍馬のタイムリーで勝ち越され、そのまま敗戦。

 

 いずれも、打者の思慮が足りない、というのだ。

<脇谷にしても、小林にしても、この内容で「必死だった」というのなら、あまりにも考えが浅すぎる。チャンスだから、思い切ってバットを振ったというだけに見えた。(略)あまりにレベルの低い、寂しい試合だった>(「日刊スポーツ」5月29日付)

 

 怒ってますねえ。しかも本気で、カンカンに怒っている。

 そして、この「怒り」こそが、物事を動かす力を持つ、と思うのだ。たとえ、怒りの対象が、交流戦に入っていきなり東北楽天に3連敗で、とうとう7連敗(6月1日現在)を記録した泥沼の巨人軍だったとしても。

 

じつは少し不思議なのである。国民の過半数が巨人ファン、なんてことは、今時あり得ないのだろうけれども、それにしても、憤り、あきれ、批判する巨人ファンという人を、身の回りではまるで見かけない。巨人ファンは全員紳士なんでしょうか。まさかね。むしろ、政治問題や社会問題と同じように、みなさん、事態をやりすごして生きているのではないか。

 

 古巣を叱った「ガンちゃん節」

 

 もう1つ。5月27日の北海道日本ハム―福岡ソフトバンク戦。去年までなら日本球界屈指の好カードだったが、ともあれ、この日、ソフトバンク先発は3年目松本裕樹。盛岡大付高からドラフト1位で入った投手だ。正直いって、甲子園で見たときからさして魅力は感じなかったのだが(たしか故障していたと思う)、この日も、初先発という初々しさ、新鮮さはどこにもない投球だった。

 

 対する日本ハムの先発は有原航平。大谷翔平を欠く日本ハムのエース格である。当然、誰もが日本ハム優勢と予想する。ところがどっこい、有原は3回までになんと8失点。

 

 たしか3回だったと思う。録画はしなかったので、正確ではないが、発言の主旨はまちがいない。解説の岩本勉さんが一気にヒートアップした。

「できれば言わないでおこうと思って我慢していたのですが、有原はこれではいけない。投げているのはカットボールばっかりなんですよ。ものすごい潜在能力を持った投手なのに、抑えてやろうというのがまったく感じられない」

 

 一気呵成の「ガンちゃん節」で、有原を批判したのだが、明らかにその原動力になっているのは、投球に対するきわめてまっとうな「怒り」だった。

 

 これで有原が立ち直る、というほど単純なものではないだろう。しかし、このような、まっとうな怒りの表明されない世界は沈滞し、没落する。

 

 セ・パの打線の違いだけではない

 

 もう1度、5月28日の巨人-広島戦に戻る。私が巨人ファンだったら、なによりも10回裏の攻撃に怒る。

 3-2と1点勝ち越されての10回裏、広島のリリーフはこの回から一岡竜司である。今季の一岡は、失礼ながら、投げてみなければわからない投手である。同点、逆転も、普通に起こりうるな、と思っていた。

 

 ところが先頭、脇谷。たしかに8球粘ったが、ショートゴロ。続く立岡宗一郎もショートゴロ。そして坂本勇人。2-2からの5球目。外角ストレートを空振り三振でゲームセット。

 

 え? 三者凡退? 坂本があのストレートを空振りするの? 拍子抜けするような幕切れだった。

 ちなみに5月31日の西武-広島戦では、一岡は6回表に登板している。8-1と広島が大きくリードした場面である。

 

 中村剛也、四球。エルネスト・メヒア、ライトフライ。栗山巧、四球。これで1死一、二塁である。続く木村文紀はカウント3-0までいったが空振り三振。代打、外崎修汰も空振り三振で無失点にきりぬけている。

 

 しかし、巨人戦の三者凡退と西武戦の2人走者を背負って、あわや1死満塁というピンチまでいくのとでは、全然違う。

 これについて、交流戦になるとよく言われる、セ、パの差という言説もありうるのかもしれない。

 

 巨人よりも、西武の打者のほうがバットを振るから、その威圧感から、四球を出してしまったのだ、と。ここに、セ、パの野球の質の違いがあると。

 

 交流戦の結果は歴然たる事実であって、たしかにパ・リーグが大きく勝ち越している。

 

 今年は、まず話題の楽天打線が、巨人・菅野智之までも打ち崩してみせた。

 ただねえ。セ・リーグは当てる、パ・リーグはフルスイングする、といったステレオタイプな説は、本当にこの問題の説明になっているのだろうか。

 

 元巨人の大田泰示は、日本ハムに移籍したとたんに、バットが振れるようになった、というわけではあるまい。逆に日本ハムから巨人に移った石川慎吾は、これから次第にバットが振れなくなる、というのもあまり説得力のある説明とは思えない。この問題は、従来の常識的な意見にとらわれない、緻密な分析が必要だろう。

 

 復活のキーマンは坂本

 

 それにしても、巨人の対楽天3連敗は、今季のプロ野球の象徴的な出来事といっていい。3連敗目は、楽天・則本昂大投手の7試合連続2ケタ奪三振のプロ野球新記録というおまけまでついた。

 

 ここでも、坂本はそのうち2三振を喫している。3回表の三振は、28日同様、外角低めのストレートを見逃している。

 もしかして、彼もまた、WBC症候群になってしまったのだろうか。

 

 WBCのあった年のペナントレースは独特である。要するに、WBCで主力として活躍した選手が不調に陥りやすい。筒香嘉智しかり、山田哲人しかり。菊池涼介も下半身に不安を抱える。坂本は、開幕当初、影響を感じさせない活躍ぶりだった。むしろ、昨年の首位打者獲得以来、打者として大きく進化してきている。彼だけは大丈夫なのか、たいした精神力だとおもっていたのだが、ここへ来て、どうやら雲行きが怪しい。

 

 一方の則本は、WBCでは今ひとつ結果が残せず、最後はいわば控え的な扱いだった。こういう選手がシーズンに入って爆発的に活躍するケースもままある。典型例は、2013年の田中将大である。WBCでは、前田健太がエース格でがんばり、田中はやや精彩を欠いた。ただし、シーズンに入るや、24連勝無敗を記録したのである。

 

 今の巨人がチーム編成上、世代交代の過渡期にあるかどうかは知らない。阿部慎之助とか内海哲也とか、近年の巨人を代表する選手たちに衰えが見えるのは確かだろう。長野久義もさえないし、小林誠司は相変わらず、いいのは肩だけだし。この頭打ち感とでもいうか、一種の閉塞感は、やはりどこか、あの、やり過ごすしかない現今の社会状況に通底している。

 

 巨人がこの状況を打破できるとしたら、坂本が爆発したときだろう。彼の目に、心底からの怒りが宿る日は、くるだろうか。 

 

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール

1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。


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