二宮清純: 現在31歳になられて、初めてのパラリンピック出場から12年が経ちました。体力的な衰えは?

江島大佑: 長い距離を泳ぐ場合はスタミナが必要となりますが、50メートルなどの短距離はより集中力やメンタル面の方が重要となり、これまでの経験が生きてくると考えています。その点はまだ可能性があるのかなと。だから東京パラリンピックは短距離種目で狙うことになると思います。

 

二宮: トレーニングではどの点を強化していこうと考えていますか?

江島: 右半身の強化もそうですが、動かない左の方もトレーニングしないと全体のバランスが崩れてしまうんです。右半身ばかりではなく左も鍛える必要があると考えています。

 

伊藤数子: 現在、国内にも江島選手を追い上げるライバルもいますか?

江島: はい。いますね。ただ代表枠がまだ何人になるかは決まっていません。国際パラリンピック委員会(IPC)が設定する派遣標準記録(MQS)を切った人数から、出場国のバランスなどを見ながら各国に枠が振り分けられます。

 

二宮: これからの3年が大事になってくるんですね。

江島: そうですね。実は今僕には専任のコーチがついていないので、自分の感覚でトレーニングをしています。ただ1人で練習をやっていると、弱さや甘えで追い込めない時がある。「手伝おうか」と声を掛けてくれている方もいるので、いろいろ相談して決めたいと思います。

 

二宮: 東京パラリンピックはご自身の中で泣いても笑っても最後のパラリンピックにしようと?

江島: はい。自分の持っているすべてをかけて、そこで勝負したいです。これまで獲っていない個人種目でのメダルを、できれば金メダルを手にしたいです。

 

伊藤: 東京でパラリンピックの開催を契機に変わってほしいことはありますか?

江島: やはりパラリンピックやパラスポーツをもっと知ってもらいたいです。今のパラアスリートたちはスポーツ推薦で進学できる選手も増えてきています。その点ではパラスポーツが認知されてきているのかなと思いますが、まだまだな部分があります。例えば障がい者が「スイミングスクールに通いたい」と言っても、「何か問題が起きても、責任が持てません」と断られるケースもある。そういう理解がまだ少ないと感じますね。

 

二宮: パラリンピックを3度経験したからこそ、思うこともあるでしょう。

江島: 特にロンドンがすごいなと感じました。パラリンピック発祥の地と呼ばれるだけあって、オリンピックと同じようにテレビでもパラリンピックの特集が組まれていたり、ロンドンのまちもパラリンピック開催の雰囲気で溢れていました。

 

伊藤: ロンドンパラリンピックは世界からも高い評価を受けました。会場にも多くの観客を集めていましたね。

江島: 超満員の観客が大会を盛り上げてくれました。50メートルバタフライ決勝で優勝した選手は世界記録を更新しましたが、僕は5位。それでもイギリスのお客さんは僕に「良かったぞ!」と声を掛けてくれた。それはパラリンピックに対する理解があるからこそだと思うんです。それと同じことを3年後の東京パラリンピックでできるのかと言われれば、現状ではまだまだじゃないかなと。

 

二宮: 意識を変えていくべきだと?

江島: そう思います。僕らが活躍して、メディアに出て皆さんに認知してもらうことも大事だと思います。だからまずは一歩ずつでも、自らの経験を生かし皆さんにパラ水泳のことを伝えていきたい。さらに、“エジパラ”を通して若手選手たちの成長を手助けすることで、パラ水泳界の盛り上がりに少しでも貢献していければと思っています。

 

(おわり)

>>「挑戦者たち」のサイトはこちら

 

江島大佑(えじま・だいすけ)プロフィール>

1986年1月13日、京都府生まれ。S7クラス。3歳から水泳を始める。12歳のときに脳梗塞で倒れ、左半身に麻痺が残った。2000年シドニーパラリンピックをテレビで見て再び水泳をスタートする。立命館大学に進学後、2004年アテネパラリンピックに出場。初出場ながら4×50メートルメドレーリレーで銀メダルを獲得した。2006年にはワールドカップ50メートル背泳ぎで世界記録を樹立。2008年北京パラリンピックでは100メートル背泳ぎで5位入賞、50メートルバタフライでは4位入賞を果たした。2012年ロンドンパラリンピックは50メートルバタフライで5位入賞。若手育成・強化のための合同合宿「エジパラ」を開催し、後進の育成にも力を入れている。株式会社シグマクシス所属。


◎バックナンバーはこちらから