ニューヨーク・ヤンキースをFAになり、マイアミ・マーリンズと1年契約を結んだイチローが29日、都内で入団会見を行った。会見にはデイビット・サムソン球団社長ら幹部が来日して同席。メジャーリーグ通算2844安打の実績を誇るヒットマンに最大限の誠意を示す場となった。イチローは「ただただ恐縮」と第一声を発し、「球団のやたら熱い思いが伝わってきた。この思いに応えたいという気持ち」と新天地での活躍を誓った。
(写真:サムソン球団社長(左)らと慣れ親しんだ背番号51のユニホームを手にした)
 シャツの上からでも分かる、41歳とは思えない引き締まった体で、真新しいマーリンズのユニホームに袖を通した。
「新しいユニホームを着るとテンションが上がる。それは子どもの頃から変わらない」
 その目は野球少年のように輝いていた。

 メジャーリーグ移籍1年目での首位打者、MVP、シーズン最多の262安打、10年連続の200安打以上……数々の金字塔を打ち立てた“レジェンド”も、ヤンキースでは控えでベンチを温めることも少なくなかった。このオフにはFAとなり、キャリアで初めて所属球団が決まらないまま、年を越した。「ペットショップで並んでいる犬で、かわいいのはどんどん売れていくけど、大きくて成長した犬は残っていく。それでも飼ってくれるんだから忠誠を尽くす」とイチローは自身の立場を“飼い犬”にたとえる。

 オファーを出したマーリンズは97年に球団創設5年目にしてワールドシリーズを制し、03年にも再び頂点に立ったものの、近年は成績が低迷している。一昨年まで3年連続でナ・リーグ東地区最下位に沈み、昨季も地区4位だった。弱小チームとはいえ、外野陣は昨年のホームラン王、ジャンカルロ・スタントン、マーセル・オズナ、クリスチャン・イエリッチとレギュラーが固定されている。イチローは現時点で、彼らのバックアップ要員という位置づけだ。

「そんなことはもちろん分かっている。4番目の外野手であることは想定内。アメリカでは40歳を超えた野手は、その時点でカットされる傾向がある。それは何の問題もない」

 レギュラーが確約されない“犬小屋”でも入団を決めたのは、マーリンズの熱意だ。シアトルに自宅があるイチローにとって、本拠地のマイアミは「一番遠い場所」。かつ、14年間プレーしたア・リーグを離れる選択になる。だが、イチロー曰く「気持ちでくる。その先走り方が好きだった」という球団の姿勢が心を動かした。契約に際して本来は現地で行うメディカルチェックは、スタッフを日本に派遣して実施。住居面でも専用のウエイトトレーニングのマシンを置けるスペースを確保するなど、「マイナス要素はすべてクリアした」という。

 極めつけは今回の入団発表だ。サムソン球団社長や、ベースボールオペレーションズ部門のマイケル・ヒル代表、ダン・ジェニングスGMがマイアミから、わざわざ18時間かけて日本を訪れ、会見に立ち合った。ヒル代表は「我が球団にとって初の日本人選手。イチロー選手の故郷である日本で発表するのが重要と考えた」と、その理由を語り、「イチロー選手ほどの選手が獲得できるとは思ってもみなかった。素晴らしい選手を獲得できることをお伝えできるのは本当に光栄」と喜ぶ。

「選手として必要としてもらえること。これが僕にとっては何よりも大切なもので原動力になる」
 そうイチローは断言する。個人記録ではメジャー通算3000本安打まで残り156本。日米トータルながら、ピート・ローズが持つ4256安打の最多記録にも、あと134本に迫る。周囲の目は数々の偉業達成に注目が集まりがちだが、本人は「数字はもちろん大切なもの。ただ、それがすべてではないことはハッキリ言える」と明かす。
(写真:ユニホームを着た感想は「まだ似合っていない。1日でも早くなじめればいい」)

 不惑を過ぎ、求めているものは、もっと別次元にある。
「野球選手にとって40という年齢は重要なポイントになる。人間として成熟する前に現役を退くのは、とてもツライことです。40歳を超えて現役でいることは、とても僕にとっては大事。現役でないと分からないことがたくさんある」
「僕は41歳だが、25歳でも45歳に見える人がたくさんいる。その反対であることができるように、ちょっとずつ前に進みたい」
 会見ではひとつひとつ言葉を選びながら、自身の考えを口にした。

 背番号はオリックス、シアトル・マリナーズで長年背負った「51」に戻る。慣れ親しんだ番号への思いを「ヤンキースで31になった時に、初めてのサインは本能で51と書いてしまった。それほど僕の腕が覚えている。無意識に51と書けることはうれしい」と独特の言い回しで表した。

「“これからも応援よろしくお願いします”とは絶対に言わない。応援していただけるために自分のやるべきことを続けていきたい」
 ファンに対するメッセージも、イチローならではの表現だった。日米で殿堂入り確実な名プレーヤーは、新天地でも変わらず、自身のプレーと生き様で観る者を魅了し続ける。

(石田洋之)