第284回 世界で最も激しい南米予選 ~ホルヘ・ヒラノVol.19~
1985年6月23日——ワールドカップ南米予選、ペルー代表対アルゼンチン代表戦は、前半7分、カルロス・オルビータスの得点でペルー代表が先制した。
その後、ほとんどの時間をアルゼンチン代表がボールを保持した。ディフェンダーのダニエル・パサレラ、中盤のリカルド・ジェスティ、そしてホルヘ・ブルチャガたちがペルー代表陣内でパスを回した。
普段ならばその中心にいるのは、背番号10番をつけたディエゴ・アルマンド・マラドーナだった。しかし、この試合でペルー代表のミッドフィールダー、ルーチョ・レイナが影のように付き、マラドーナがボールを受けると後ろから押し、パス回しを止めた。レイナを交わしたとしても、周囲の選手が身体をぶつけて倒す。やがてマラドーナにはパスが渡らなくなった。マラドーナをレイナと共に試合から消すという、ペルー代表監督、ロベルト・チャーレスの戦術通りだった。
とはいえ、前半35分、チリの主審、エルナン・シルバ・アルセは、レイナにイエローカードを出した。2枚目となれば退場である。直後こそ、レイナはやや距離を置いたが、厳しいマークは変わらない。マラドーナはレイナを避け、時に最終ライン近くまで下がることもあった。
アルゼンチン代表は攻めあぐねたまま、前半終了した。
後半、アルゼンチン代表監督のカルロス・ビラルドは、中盤のミゲル・アンヘル・ロッソを下げて、フォワードのペドロ・パスクッリを送り出した。
アルゼンチン代表のキックオフでマラドーナにボールが渡ると、すぐにレイナが身体を寄せて倒した。前半、何度もあったシーンだ。マラドーナは顔をしかめながら右足を引きずっていた。ピッチの外に出て座り込むと右足首をさすった。
駆け寄ったドクターと何か話した後、マラドーナが立ち上がり、ピッチに入ると再びレイナが駆け寄った。
本当に右足首を痛めていたのかは分からない。ただ、しつこいマークに彼が辟易としたのは間違いない。
唯一見せたレイナ“らしさ”
後半5分過ぎから、赤い上下のジャージを来たホルヘ・ヒラノたちが交代に備えて身体を動かし始めた。
1点リードをどう守るのか。交代枠は2つ。どこで誰を入れるのか——。
ジャージを脱いで、サイドラインに立ったのは、背番号10をつけたフリオ・セサル・ウリベだった。
そのとき、ブルチャガからマラドーナにショートパスが渡る。マラドーナはボールをふわりと浮かし、近くの味方にパス。身体を反転させてワン・ツーで抜け出そうとした——。ペルー代表の選手たちはマラドーナを囲み、ボールを奪った。
後半9分、フォワードのジェロニモ・バルバディージョに代わってウリベが入った。
スポルティング・クリスタルでヒラノと一緒にプレーしていた中盤の選手である。レイナを含めた中盤の選手たちの動きが落ちて、隙間ができていた。運動量のあるウリベが補うという意図だった。
レイナは一度だけ、本来の彼らしいプレーを見せている。後半11分だ。
マラドーナへのパスをレイナはインターセプトして奪うと、ドリブルで持ち上がった。前掛かりになっていたアルゼンチン代表のディフェンスラインの間、前線のフランコ・ナバーロにパスを通した。シュートには到らなかったものの、ペルー代表が自分たちの間合いでボールを運んだ数少ないチャンスだった。
「目の色を変えていた」
後半31分、レイナに代わってハビエル・チリーノスがピッチに入った。マラドーナを押さえきったレイナには観客席から拍手が起こった。2人目の交代となり、ヒラノの出場が消えた瞬間でもあった。
この当時、日本代表、あるいは日本の実業団チームがマラドーナの所属クラブと公式戦で対戦する可能性はなかった。同じピッチに立つことはなかったとはいえ、南米予選という、世界で最も激しい試合——真剣勝負で対戦した〝日本人〟はヒラノだけである。
マラドーナは凄かったかとヒラノに聞くと、当然のことを言わせるなという風に笑った。
「(同じアルゼンチン出身のリオネル・)メッシとマラドーナがどちらが偉大かという話題になることがある。ぼくから言わせれば、マラドーナはメッシよりもずっと上だ。当時のペルーのディフェンダーは本当に激しかった。国内リーグでもそうだ。ぼくは足が速かったから、怪我は少なかった。足が遅ければ怪我だらけだったろう。ましてや相手はアルゼンチン代表だ。いいプレーをしていい契約を結びたい。大金を稼ぐために目の色を変えていた」
もし、メッシがあの時のルールで試合に出ていれば、すぐに怪我をしていただろうと付け加えた。
試合はこのまま1対0で終了した。ペルー代表はアルゼンチン代表と勝ち点で並んだ。そして、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスでの最終戦に臨むことになった。
(つづく)
田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。最新刊は、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)
代表を務める(株)カニジルは、鳥取大学医学部附属病院一階でカニジルブックストアを運営。とりだい病院広報誌「カニジル」、千船病院広報誌「虹くじら」、近畿大学附属病院がんセンター広報誌「梅☆」編集長。