24日、ラグビーのトップリーグ2015-2016シーズンの王者を決める「LIXIL CUP」が行われる。3連覇を狙うパナソニックと6年ぶりの優勝を目指す東芝が決勝に駒を進めた。日本トップレベルでの名勝負といえば、91年1月8日、第43回全国社会人大会決勝が思い出される。2連覇中の神戸製鋼と、初優勝の懸かる三洋電機(現パナソニック) との一戦だ。四半世紀経っても色褪せぬ激闘を、過去の原稿で振り返りたい。
<この原稿は1997年発行の『スポーツ名勝負物語』(講談社現代新書)に掲載されたものです>
いまにも雪の降り出しそうな寒い日だった。バックスタンドから見上げるグレーの空は、鉛のカーテンのように重々しい雰囲気を漂わせていた。
1991年1月8日、東京・秩父宮ラグビー場。
第43回全国社会人大会決勝。神戸製鋼対三洋電機。八幡製鉄、新日鉄釜石以来、史上三度目の三連覇を目指す神戸製鋼は左に、悲願の初優勝を狙う三洋電機は右にエンドをとった。
ともにファースト・ジャージの色が赤だったため、神戸製鋼は黒、三洋電機はパールグレーのセカンド・ジャージに身を包んで試合に臨んだ。キックオフのホイッスルは日本協会の真下昇レフェリーによって吹かれた。それからおよそ9分後に、ノーサイドを告げるホイッスルが鳴るまで、神戸製鋼と三洋電機は息詰まるような激闘を展開し、その結果、黒のジャージに凱歌はあがった。
劇的なホイッスルが鳴った時、スコアボードの電光計は後半43分を指していた。
「試合は最後までわからない。ひとつチャンスができれば、絶対に勝てると思っていたよ」
受話器の向こうで、イアン・ウィリアムスはクールに言った。彼は94年、オーストラリアに帰国し、今はシドニー市内の法律事務所で弁護士をしている。
「走っている間、どういうふうにトライをしようなんて、頭では考えていなかった。ただ動物のように、自分の本能のおもむくままに走っただけだよ」
やや間を置いてウィリアムスはそう語り、おもむろにつぶやいた。
「ラグビーは考えながらできるほど、時間に余裕のあるスポーツじゃない」
電光計はロスタイムに入って42分を指していた。ラスト・ワンプレー。4点のビハインドを負う神戸製鋼は、No.8大西一平がサイドアタックを仕掛けた。ラックが形成され、そこから出たボールをSH萩本光威が拾い上げ、右にいたSO藪木宏之に素早いパスを送った。藪木は中央突破を試みようとして三洋電機のCTB日向野武久につかまったが、倒される寸前に右オープンに展開した。パスは、右にいたCTB藤崎泰士を越えてハーフバウンドとなり、隣のCTB平尾誠二の手にすっぽりとおさまった。
続けざま平尾は鋭いステップでノホムリ・タウモエホラウをかわすと、FL飯島均からのタックルを受ける直前、これ以上ないというタイミングでタッチライン沿いに走り込んできたウィリアムスにパスを送った。このパスを顔のあたりでキャッチしたウィリアムスは、バックスタンド前を、まさに風のように疾走した。ハーフウェイラインの手前からだから距離にして約50メートル。ウィリアムスは追いすがる三洋電機WTBワテソニ・ナモアを振り切ると、ゴールほぼ真下に宝物でも供えるようにグラウンディングした。このトライで16対16の同点。グラウンドに膝をついたまま両手を高々とあげるウィリアムスに、FL杉本慎二と藪木が大声を発しながら駆け寄り、喜びのあまりに押し倒してしまった。倒れながらもウィリアムスはこぶしを宙に突き上げた。
興奮醒めやらぬうちに神戸製鋼のキッカー細川隆弘が逆転のコンバートを落ち着いて決め、激闘にピリオドが打たれた。神戸製鋼の歓喜の輪の中心にいたのはウィリアムスだったが、起死回生の逆転劇は彼ひとりの力で引き起こされたものではなかった。それは黒いジャージに身を包んだフィフティーン全員の勝利への執念が実った瞬間だった。
「ボールは僕の前に落ちていたんです。よほど、反則してやろうかな、と思ったんです。手で押さえ込んで出さなければいいわけですからね。萩本がボールのすぐそばにいて“拾われたらマズイなぁ……”という気持ちが一瞬、頭をよぎりました。まさか、あんなことになってしまうとは思わなかったですよ」
そう言って三洋電機のSO大草良広は唇を噛んだ。もし、反則していれば10メートル下げられ、セットプレーからの神戸製鋼の攻撃を止めた段階でノーサイド、というのが大草自身の読みである。
「新野(巧)が綾城(高志)を一発で倒せなかったでしょう。それでタックルに自信のあった僕が行くはめになってしまった。そのためにラックに巻き込まれてしまったんです」
大草の指摘するシーンは、ウィリアムスのミラクルトライの呼び水ともいうべき、神戸製鋼の左オープン攻撃を指す。ループプレーからパスを受けた平尾がFB細川につなげ、WTB綾城へとわたった。それを大草が止めたのである。
しかし、綾城の狙いは、まさに大草を巻き込むことにあった。ラックさえ形成できれば必ずチャンスは来る、と読んだのである。
綾城は振り返る。
「ボールが回ってきた時点で僕には抜けないと思った。だったら大草を巻き込んでラックにしてやろうと。要するに相手に当たってマイボールにしてやろうということですワ。マイボールを継続していれば、必ずやチャンスは生まれてきますからね。だからラックの下敷きになった時点で“ああ、僕の仕事は終わったな”と思いましたよ」
大草の目の前に転がったボールをSHの萩本が拾い上げ、大西がサイドを突いてさらにチャンスの芽はふくらんだ。これを萩本が再び拾いあげ、パスはタイトロープを渡るようにウィングのウィリアムスにまでつながっていく。
忘れてはならないのは大西のサイドアタックである。三洋電機の宮地克実監督は、「大西がブラインドを突いてきて、ウチのディフェンスがそっちに振られてしもうた。あれが全てやったな」と振り返った。
大西の回想――。
「みんな冷静やったし、プレッシャーもなかった。時計も見とったしね。それにレフェリーの真下さんも、ウチが負けるような顔はしてなかったね。言葉にするのは難しいけど、”勝てるなァ“という気持ちはみんな持っていたんと違いますか」
話を引き取って萩本が続ける。
「笛鳴らん限り、ラグビーは終わらんからね。とにかくボールを継続していこうと……」
(中編につづく)
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