ボールは萩本から藪木へとわたり、数メートル走ってから、ハーフバウンドのパスを平尾におくることになる。この試合をバックスタンドから観戦していた私の目には“苦しまぎれ”のパスのように映ったが、今回、あらためてビデオテープ『ノーサイド’91』(文藝春秋)を見ると、ハーフバウンドになったのは“ケガの功名”だったとはいえ、藪木が右隣の藤崎へのパスを避け、ひとり向こう側の平尾につなごうとした意志がはっきりと確認できた。藤崎を咄嗟の判断で避けたのは、彼に対してCTBノホムリとFB藤田信之が詰めていたからである。

 

<この原稿は1997年発行の『スポーツ名勝負物語』(講談社現代新書)に掲載されたものです>

 

 藪木は述懐する。

「藤崎さんに対するディフェンスがひとり出てきて、直感的に“パスしたらダメだ”と思った。藤崎さん、ノーボールタックル気味にいかれてるでしょう。僕の意識はとにかく外へ回そうと。イアン(ウィリアムス)サイドに出そうと。ワンバウンドになった時は“しまった!”と思いましたが“飛ばしパス”はもちろん意識してのものです」

 

 CTB藤崎を飛ばしてのパスは、その隣にいた平尾の手にすっぽりとおさまった。そう見えたのは、もちろん平尾のキャッチングが巧かったからにほかならない。

「あれは10回きたら、7、8回は落とすパス。横からのバウンドは点でとらないといけないんです」

 

 平尾は名手らしい口ぶりで説明し、こう続けた。

「動きながら捕りにいったでしょう。あれが止まって捕っていたらドンピシャのタイミングでつかまってますワ。まぁ結果的にはあのパスで三洋のマークがズレた面はあるけど、受ける方にすればクソパスですワ。だけど、あのパスから状況が変わったからね。相手が一瞬見たというか、間ができたというか……」

 

 藪木のハーフバウンドのパスは藤崎についていた2人のマーカーを置き去りにし、ノホムリにいたっては、平尾にまでかわされてしまう。平尾は飯島の、背中に覆いかぶさるようなタックルを受ける寸前、まさにミクロのタイミングでウィリアムスにパスを送る。平尾の右にいた細川に詰めていたナモアは、自らの頭越しのパスにバランスを崩され、ダッシュよくタッチラインを駆け上がるウィリアムスに振り切られることになる。

 

「もっと前に放ってよ。あれ危なかったよ!」

 試合後、平尾はウィリアムスにパスの精度について指摘された。

 

 しかし、このパスこそは、視野が広く、鋭い直感を誇る平尾ならではの起死回生の妙技だった。

 

 平尾は語る。

「パスを受けた時、前がパッと開いた。ナモアはとんでいる。そこへ飯島が後ろからタックルにきた。中へ入ってカットアウトして、パスして飯島からのタックル。つまり僕は飯島とぶつかる前にパスを終わらせる必要があったわけです。

 

 要するにたった一点のタイミングですワ。早くても遅くてもダメ。早かったらイアンがまだ出てきていなかった。つまりナモアと入れ違ってなかった。逆に遅すぎると僕が飯島のタックルにやられていた。しかも角度をつけて放らんといかん。まさにあのタイミングしかなかったんですワ」

 

 ほんの一瞬で、平尾のラストパスを封じそこねたものの、キャプテン飯島のタックルは鬼気迫るものがあった。ロスタイムに入ってから、飯島は他の選手には目もくれず平尾だけに視線を定めて動きを迫っていた。

 

「あの人は神がかり的な人。相手が何かを起こすとしたら、あの人しかありえなかったんです」

 開口一番、飯島は言った。

 

 話はこの試合から2年前にさかのぼる。社会人大会の準々決勝、同じ三洋電機対神戸製鋼戦。飯島の前で平尾のチョン蹴りしたボールが妙なはね方をした。そのボールは平尾の手にスッポリとおさまり、その余勢を駆ってトライを奪った。

 

「なんで、そっちにいくねん!」

 飯島は舌打ちしたが、もうあとの祭りだった。以来、飯島は平尾を特別な目で見るようになった。平尾が不思議なオーラに包まれているような気さえした。

 

「この人には不思議な運がある」

 時間がたつにつれて予感は確信へと変わり、両者にとって二度目の対決となったこの試合、ロスタイムに入ってから飯島は平尾に全神経を集中させていた。

 

 ラックが形成されても飯島は注意を払うだけで加勢しなかった。ボールに群がろうとする味方に向かい「こっちへ来い!」と叫んだ。FW付近で取られるはずはない、と読んでいたからだ。

 

 ラックから出た神戸製鋼ボールが右に展開し、藪木からのハーフバウンドのパスが藤崎を越えてスッポリと平尾の両手におさまった瞬間、飯島は声にならない声を発した。

「あの時と同じじゃないか」

 

 平尾を止められるのは自分しかいない。とにかく、この人だけは止めなければ……。

 

 タックルは思いどおりにいった。手応えも充分、感じていた。しかし、次の瞬間、スローモーションビデオを見るように、はっきりとボールが平尾の手を離れるのがわかった。楕円形の先にはウィリアムスの姿があった。

 

 つい昨日の出来事のように飯島は振り返った。

「オレの読みは間違ってなかった。でも、まさか同じ光景を二度も見ることになるなんて」

 

 FBの細川は、ボールにこそ触らなかったが貴重な役割を果たした。右にいたウィリアムスが俊足のギアをトップに入れたのを察知し、自らは引き気味のポジションをとった。平尾からウィリアムスへのパスコースをつくったのだ。

 

 これにより細川に対して詰めていたナモアは、先述のように頭上を越すパスを送られてバランスを崩し、ウィリアムスへの迎撃は不首尾に終わった。

 

「早く潰さないかん、という意識が強すぎるあまり、ナモアは三つの失敗をしましたね」

 冷静な口調で細川は分析を始めた。

「まずひとつは僕に詰めすぎていて、パスを一瞬、目で追う格好になったこと。二つ目はイアンにスピードで振られたこと。三つ目はインゴールで振られたこと。つまりナモアは三度振られているんです。もし、僕が前に出ていたら、平尾さんからイアンへのパスコースは消えていたんでしょうね」

 

 当時、現役オーストラリア代表のウィングでもあったウィリアムスは100メートルを10秒6で走り抜ける快足を誇っていた。

「ああいう場合、ウチで走り切れるのはイアンだけ。彼に出せばワンプレーでもとれる」

 

 平尾は無意識のうちにウィリアムスを探した。ハーフバウンドのパスを手におさめた瞬間、右後方から「セイジ(誠二)!」とウィリアムスが自分の名を呼んだような気がした。

 

「息の合った藪木から平尾へのパスがワンバウンドになったのは、初めてのことじゃないか。あれをとった平尾の技術はすごい」

 

 ウィリアムスはひとまず平尾の技術に敬意を表したあとで「パスをもらう時、“セイジ!”とは叫んでいない」と言った。ウィリアムスがかけた言葉は「ハンズ」(hands)。すなわち「ボールを回せ」という意味だった。

 

 ウィリアムスは述懐する。

「ボールを受けた時から“必ずトライはとれるだろう”という気がしていた。それは“やってやろう”という感じではなく、“そうなるんだ”という予感めいたものだ。走っている最中、自分自身が心がけたことは“フォームを崩さないように”ということ。それだけだった」

 

(後編につづく)


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