さる6月26日は「世界格闘技の日」だった。今から46年前の1976年6月26日、東京・日本武道館でアントニオ猪木対モハメド・アリの「格闘技世界一決定戦」が行われた。結果は引き分けだったが、見ていてあれほど緊張感を覚えた試合は他にない。

 

 

 組んだら猪木、一発が当たったらアリ。殺るか、殺られるか。真剣を手にした剣豪同士の、文字通り命をかけた果し合いだった。

 

 翌日の東京中日スポーツの見出しは「大凡戦」、日刊スポーツは「茶番劇」。そんな中、異彩を放ったのが、報知に寄稿した野坂昭如の論評だった。

 

「格闘技のプロが、本気になって喧嘩するのなら、それは見世物にはならぬ」

 

 これを読んでハタとヒザを打ったことを、今でも覚えている。

 

「世界格闘技の日」を祝って、YouTubeの動画のイベントに参加した猪木の頬はやせこけ、しゃべるのもしんどそうだった。

 

 それでも「いくぞ! 1、2、3、ダーッ!」とやると、イベント会場は異様な熱気に包まれた。カリスマは健在である。

 

 過日、猪木の愛弟子である藤波辰爾にインタビューする機会があった。中学卒業後に日本プロレス入りした藤波は16歳で、「憧れの人」である猪木の付き人になった。

 

 アフリカを旅した時のことだ。猪木は急用が入り、予定より数日早く帰国することになった。タンザニアのジャングルに、ひとり取り残されたのが藤波である。

 

「確か2週間くらいの予定で、僕は猪木さんの身の回りの世話をするために付いていってた。ところが猪木さん、用事ができたとか言って、急に帰国するんです。僕ひとりテントの中に置いてきぼり。まわりには槍を持ったマサイ族がたくさんいる。究極の状況に陥った時、どうすればいいのか。要するに“自分で考えろ”と猪木さんは言いたかったんだと思います」

 

 指針なき混迷の時代、この国には“猪木イズム”が必要である。

 

<この原稿は『週刊大衆』2022年7月25日、8月1日合併号に掲載されたものです>

 


◎バックナンバーはこちらから