千葉ロッテの新監督に就任した吉井理人は北海道日本ハム、福岡ソフトバンク、ロッテなどで投手コーチとして辣腕を振るってきた。教え子にはダルビッシュ有、大谷翔平、佐々木朗希らがいる。

 

 

<この原稿は2022年11月11日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

 

 この人事はロッテにとって大ヒットではないか。日米7球団でプレーした豊富な経験、指導者としての実績、そして人間性。どれも満点に近く、Bクラスに転落したチームを再建するには、うってつけの人物だと考える。

 

 監督就任に際し、本人はこうコメントしている。

「これまでコーチとしての役割で勉強しながらやってきたが、全体のマネジメントを任される立場になる。身が引き締まる思いです」

 

 吉井には“師匠”がいる。1998年、横浜(現DeNA)を38年ぶりのリーグ優勝、日本一に導いた権藤博だ。近鉄時代、2シーズンにわたって指導を受けた。

 

 仰木彬監督の下、パ・リーグ優勝を果たした89年、吉井は近鉄の抑え役を任されていた。ところがマジック1で迎えた福岡ダイエー戦、仰木は胴上げ投手にエースの阿波野秀幸を指名した。

 

 クローザーの吉井からすれば、「なんでオレじゃないんだ!」となる。ロッカールームで怒り狂っていた24歳をなだめたのが、投手コーチの権藤だった。

 

「おまえを守れなかった。すまなかった」

 この一言で、どれだけ救われたか。吉井の指導者としての原点が、ここにある。

 

 ちなみに権藤が横浜の監督に就任したのが59歳。それまで、のべ4球団で投手コーチを務めてきた。

 

 その間、権藤は上司である監督を反面教師にして“べからず集”をつくった。

 

「こんなことはやらんぞ、こんなことは言わんぞ、こんな監督にはならんぞ。それを全部、書き残したんです。監督になって生きましたね」

 

 吉井は57歳での監督就任だ。吉井も権藤同様、のべ4球団で投手コーチを務めてきた。きっと、彼なりの“べからず集”があるに違いない。

 2年前に会った際、吉井はこう語っていた。

「オフ、時間のある日にはジムに通っています。何年か前に減量してお尻や背中の肉が落ちてしまったんです。ユニホームの着こなしが悪いと、言ってることに説得力がなくなってしまいますから」

 

 いつ大役が回ってきてもいいようにと、体型のチェックには怠りがなかった。そう言えば権藤も、体をシェイプするためによく走り込んでいた。体型や着こなしは、指揮官にとって自己演出の重要なツールのひとつである。

 


◎バックナンバーはこちらから