開いた口が塞がらない、とはこのことだ。

 FIFA前会長のゼップ・ブラッターがスイス紙のインタビューに、「カタールでのワールド杯は間違いだった。選択が悪かった」と語ったのは、カタールW杯が始まる直前のことだ。

 

 

 中東で初となるカタールでのサッカーW杯開催が決まったのは2010年12月のFIFA理事会。誰あろう、この時の会長がブラッターである。

 

 22年大会の本命と目されていた米国にカタールは14対8と大差で勝利した。

 

 この結果を受け、ブラッターは言った。

「我々は新たな場所へ向かう。W杯はこれまでロシアや東欧で行われたことはなく、中東やアラブ諸国は長い間、この瞬間を待ち望んでいた」

 

 この理事会では18年大会の開催がロシアに決定したこともあり、ブラッターは「我々は新たな場所へ向かう」と声を弾ませたのだ。

 

 実は22年大会の開催国にはカタールや米国とともに日本も立候補していた。

 W杯開催国・地域を選定するにあたり、FIFAは低・中・高の3段階で候補地を評価していた。これはリスクに対する評価で、一番いいのは低、悪いのは高だ。

 

 手元に資料がある。日本と米国は低が9つで中がひとつ。カタールは低がひとつで中が7つ、高も2つあった。にもかかわらずカタールが開催国に決まった背景には、投票権を持つ理事への不当な働きかけがあったからだと言われている。

 

 カタールではスタジアム建設などで出稼ぎにやってきた6500人以上の外国人労働者が建設現場で命を落としたと英紙デイリーメールが報じている。性的少数者への暴行や虐待も複数、報告されている。

 

 FIFAの元トップが今になって、カタールでのW杯開催を「間違いだった」というのは無責任に過ぎる。人権侵害に対するFIFAの賠償請求を回避したい思惑があるのかもしれない。

 

<この原稿は『週刊大衆』2022年12月12日号に掲載されたものを一部再構成しました>

 


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