熱戦続きのカタールW杯。12月2日(日本時間)早朝、スペインに勝ち、決勝トーナメント進出を決めた直後、日本サッカー協会元会長の川淵三郎に祝福のメールを送ると、すぐに返信があった。

 

 

<びっくり仰天。さすがに勝った時は涙がこぼれました>

 

 テレビ番組では「(イランに勝ってW杯初出場を決めた)“ジョホールバルの歓喜”よりもうれしい。最高の誕生日プレゼント(12月3日)になった」と語っていた。

 

 W杯優勝4回のドイツに続き、優勝1回のスペインをも撃破し、1次リーグを1位で通過するなんて、世界中の誰も予想していなかっただろう。

 

 日本は今回のカタール大会を含め、W杯に1998年フランス大会から7回連続で出場しているが、プロ化、すなわちJリーグができるまでは1回も出場することができなかった。

 

 最もW杯に近付いたのは、86年メキシコ大会出場を目指した85年のアジア最終予選。当時、アジア予選は西と東に分かれており、両地区から1カ国(地域)のみ本大会に出場することができた。

 

 東アジアでの日本の最大のライバルは韓国。85年10月26日、東京・国立競技場での日韓戦は6万2000人の観客で埋まった。日本代表の試合で、スタジアムが満杯になったのは初めてのことだった。

 

 しかし、試合は1対2で敗北。木村和司の“伝説のFK”で一矢を報いたものの、83年にプロ化していた韓国の壁は高かった。アウェー戦にも敗れた日本は、メキシコ行きの切符を手にすることはできなかった。

 

 これを機に、プロ化を唱える者が増え、4年後の89年には協会内にプロ化検討準備委員会が設けられた。そして93年、川淵チェアマンの指揮の下、Jリーグがスタートを切るのである。

 

 日本代表の指揮を執る森保一は、日本人Jリーガー出身初の代表監督だ。Jリーグは選手だけでなく指導者も育てたのだ。ここまで来るのに30年。ローマは1日にして成らず、である。

 

<この原稿は『週刊大衆』2022年12月26日、1月2日合併号に掲載されたものです>

 


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