「頭が真っ白になりました」
 金メダルの感想を、鈴木桂治はこう述べた。
「長い4年間だったか?」と問うと、「今考えると短かったですね」と答えた。
 忘れられないのは4年前のシドニーでのワンシーンだ。鈴木桂治は井上康生の練習パートナーとして同行を許された。
 来る日も来る日も投げられ役。野球で言えばバッティング・ピッチャー。万が一にも速いボールや鋭い変化球を投げて、味方の打者の調子を狂わせてはいけない。打者の要求しているコースに手頃なスピードのボールを投げ、快音に協力するのが彼らの仕事だ。それと同じ任務を20歳の大学生は任された。二つ年長のライバルがオール一本勝ちで金メダルを手にしても、心の底から喜ぶことはできなかった。オリンピックの柔道会場にまでやってきながら、トレーニングウェア姿の自分が情けなかった。
 屈辱の日々を彼はこう振り返った。
「次は絶対にオリンピックに出る。何が何でも出る。そう誓いました。あの時の悔しさがあるから今の僕があるんだと思っています」

 運命とは皮肉なものだ。
 4年前、自らのスパーリング・パートナーだった男が、クラスを上げて自らがエントリーしたいと考えていた100kg超級で王者となり、自らはメダルにも届かなかった。
「頭の中が真っ白というのが一番いい表現ですね」
 絶望の谷に転落した男は、奇しくも至福の頂に上りつめた男と同じセリフを口にした。
 これまで世界選手権、五輪合わせて24個全勝。そのうち21勝が一本勝ち。大舞台での井上康生の不敗神話は、皮肉なことに神話の舞台アテネでピリオドが打たれた。

 敗因をあげればキリがない。体はボロボロの状態だった。右腕には“電流”が走り、左ひざは屈伸するたびに悲鳴を発し続けた。
 これでは相手をコントロールすることも強く踏み込むこともできない。内股にいつもの切れを欠いたのは、このためだ。
 組み手も欧州勢に研究され尽くしていた。井上康生は引き手を充分にとらなくても内股で相手を引きつける技術を有するが、欧州勢は微妙にタイミングを狂わせる技術を個々に合ったやり方で習得していた。

 不吉な予感を抱いたのは大会前だ。彼から映画『ラストサムライ』が好きだという話を聞いた時、過剰なまでの美学が裏目に出ないかと案じた。一言で言えば、あれはサムライが自らの美学に殉じる映画だ。その根底には“滅びの美学”がある。
 本来、井上康生ほどの柔道家であれば、早めにプレッシャーをかけて先にポイントを取れば、もっと楽に試合を運ぶことができる。ポイントを逆転するためには終盤、相手は危険を承知で技を仕掛けなければならず、そこを突けば少ない仕事量で多大な報酬を得ることができる。

 しかし、彼はいわゆる、こうした効率のいい柔道、燃費のいい柔道に興味を示さない。愚直なまでに「一本」にこだわり続ける。それが柔道であり、それを追求し続ける我が身だからこそ誇りが持てるのだ。
 ここから先は、もう己の尊厳との戦いである。ただし自らの美学を追求して、なおかつ結果を出すには恐ろしいまでの自己練磨と求道の心が必要になる。もう一度頂を極めれば、それで良しというものではない。登頂ルートにこだわる孤高のアルピニストのように、「柔」の真理を求め続ける。それは孤影を引きずる終わりのない旅でもある。

「金メダルをとったといっても、このクラス(100kg超級)は僕のクラスじゃない。次は100kg級で世界を獲りたい」
 金メダルをバッグにしまい込んだ鈴木桂治はこう言い残してアテネを去った。これは依然としてこの階級では日本の第一人者である男に向けた、新たなる“宣戦布告”でもある。
 果たしてこの言葉を井上康生はどう受け止めるのか。王座から転落したとはいえ、希代の柔道家が失意の淵でたたずむ姿は似合わない。アテネの明暗は実は互いの尊厳をもかけた“北京死闘編”の序章に過ぎないのである。

(おわり)

<この原稿は2004年9月16日号『Number』(文藝春秋)に掲載されたものです>
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