鯉のぼりの季節とともに、カープも浮上してきた。最大時で8もあった借金も5月17日には完済した。プレーオフ進出の条件となる3位以内も十分、射程の範囲だ。
 カープ躍進の立役者が4番・新井貴浩である。現在、14本塁打、36打点。これはセ・リーグでは中日のタイロン・ウッズに次ぐ数字。4月後半には2割5分を切っていた打率も2割8分9厘にまで上昇してきた。

 気の早い話だが、もし新井が今のペースでホームランを打ち続ければ、日本人右打者としては落合博満(現中日監督)以来となる50本台も見えてくる。

 一体、新井はどこが変わったのか。
 四球数に、それははっきりと表れている。元々、新井は四球の少ないバッターだった。よく言えば積極的、悪く言えば“ダボハゼ”だった。ストライク 付近のボールは何でもかんでも手を出していた。

 昨季の四球数はわずか32。パワーヒッターとしてこの数字はあまりにも寂しい。43本塁打を放った2005年も、四球はわずか37しか選んでいない。
参考までに言えば、王貞治(現ソフトバンク監督)が日本新記録となる55本塁打をマークした1964年、実に119もの四球を選んでいる。
 好球必打、ボール球に手を出さないことこそが真の強打者の条件なのだ。

 今季、新井は早くも18の四球を選んでいる。同じ4番打者でも中日・ウッズやソフトバンク・松中信彦に比べればまだ少ないが、以前に比べれば格段の進歩である。バッターボックスでの姿に風格が感じられるようになったのはそのためだろう。

 残念なのは新井を支える外国人がカープにはいないことである。2000本安打まであとわずかの前田智徳が5番に座り、用心棒的な役割を果たしてはいるが、故障がちでフル出場を望むのは酷である。

 75年、カープが初優勝した時にはゲイル・ホプキンスという球団史上最強の外国人選手がいた。当時はまだホープの域を出ていなかった山本浩二が球界を代表する強打者に育ったのは、青い目の相棒がいたからである。
 その後もカープはジム・ライトル、ヘンリー・ギャレットをはじめ、実力派の外国人スラッガーに恵まれ続けた。近年ではアンディ・シーツ(現阪神)、グレッグ・ラロッカ(現オリックス)が赤ヘル打線の中軸を担った。

 このように、外国人選手にかけてはカープは球界でも1、2を争うほどの目利き球団だった。
 悪いことは言わない。Aクラスに入るためには新井の相棒となる外国人パワーヒッターをひとり獲ることだ。財政事情が厳しいのはよくわかるが、マイナーリーガーなら2000万〜3000万円で十分だ。6月末までは補強が認められる。ホプキンスとまでは言わない。意外性の男と呼ばれたリッチー・シェーンブラム(愛称シェーン)クラスなら何とかなるだろう。

<この原稿は07年6月3日号『サンデー毎日』に掲載されています>

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