夜明け前の激闘<後編>
<この原稿は2021年5月5日号の『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>
身長185センチ、体重90キロの体躯はナンバーエイトとしては小柄な部類に入る。
スコットランド相手に身体のハンデを全く感じさせない果敢なタックルと豊富な運動量。この試合、タックルは実に25回に及んだ。
「もう途中からゾーンに入っていましたね。僕の場合、通常、タックル数は10から15なんですが、この試合は25回もやっているんです。スタジアムの雰囲気もよかった。オーストラリアは親日家が多いので、まるでホームで戦っているようでした」
前半を6対15で折り返した日本は、後半に望みを託す。
向井が勝負に出たのは後半11分だ。逆転の布石としてスクラムハーフの苑田右二、スタンドオフのアンドリュー・ミラーを投入した。
「前半は手堅く試合を運び、後半にハーフ団を代えてリズムをつくる。これは最初から描いていたプランでした」
その4分後の後半15分、日本にとってはこの試合、一番の見せ場がやってくる。
ミラーのラインブレイクからチャンスを掴み、ラインアウトからの連続攻撃でスコットランドの防御網を完全に突き崩してみせたのである。
ゴール左隅に飛び込んだのは独特なステップが持ち味のウイング小野澤宏時。11対15。わずか4点差にまで迫った。ワントライで逆転だ。
「トライのきっかけになるラインアウト。あれ、僕が捕って突進したんですよ。ジャパンはループプレーが得意だから、ミラー、元木とうまくつながりましたね」
向井にも聞いた。
「これは繰り返し練習してきたサインプレー。オープン展開から一発でトライを獲るというもの。小野澤の裏にいたウイング大畑大介の存在が大きかった」
伊藤によると、この瞬間、スタジアムには、坂本龍一が作曲した映画「戦場のメリークリスマス」のテーマ曲が流れたという。
「あれはよかった。スタジアムは大盛り上がり。僕らは、あれで勝った気になってしまった……」
残念ながら日本の健闘は、ここまでだった。3トライを奪われ、11対32で敗れた。
善戦しても勝てない。当時の日本にとって、ラスト20分は崩せそうで崩せない「世界」との壁だった。
「でもね、翌日の新聞は僕たちのことを“ブレイブ・ブロッサムズ”って書いてくれたんです。それまでは“チェリー・ブロッサムズ”と小バカにされていたわけだから、大進歩ですよ」
桜の勇者たち――。伊藤は今もこのネーミングが気に入っている。
(おわり)