<この原稿は2021年5月5日号の『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

 日本ラグビーが本当の意味で、世界と伍して戦えるようになったのはエディー・ジョーンズが指揮を執った2015年W杯からであある。しかし、夜明け前にも世界から称賛された激闘はあった。

 

 日本ラグビー史上、初のW杯ベスト8を達成した2019年日本大会。初戦の相手は格下のロシア。30対10で逆転勝ちしたものの、立ち上がりは散々だった。

 

 あろうことか、日本はロシアのキックオフボールのキャッチに失敗し、いきなりピンチを招いた。前半5分にはロシアのハイパントを日本のフルバックが捕り損ね、こぼれたボールをインゴールに持ち込まれた。

 

 ボールが手につかない、とはこのことだ。最初はどうなることかと心配した。

「ミスをした選手たちの気持ち、僕にはよくわかるんです。僕もいきなり、やらかしてしまいましたから……」

 

 面目なそうに、そう語るのは今回の主人公・伊藤剛臣である。日本代表キャップ62を誇る伝説のラガーマンだ。

 

 2003年にオーストラリアで行われたラグビーW杯は、イングランドの優勝で幕を閉じた。5回目のW杯にして、優勝トロフィーは初めて北半球に渡った。

 

 この大会、日本代表は4戦全敗で予選リーグ敗退したが、その戦いぶりは決して卑下するものではなかった。

 

 10月12日、初戦を日本はオーストラリア北東部の湾岸都市タウンズヒルで戦った。相手はグループ最強のフランスに次ぐ実力チームと見なされていたスコットランド。監督の向井昭吾は初戦に照準を合わせていた。

 

 伊藤が「生涯でただ一度、心臓がバクバクするほどの緊張を味わった」のは、メンバー発表の場でもある前日のミーティング。

 

「僕はとにかく先発で出たかった。向井さんから、順番に名前が呼ばれるわけです。1番・長谷川慎、2番・網野正大……。僕は途中から心臓がドキドキし始め、何も聞こえなくなった。8番……。僕かどうかわからないんです。齊藤祐也というライバルがいて、伊藤か齊藤かさえもわからない。隣りの選手に確認すると“タケオミさんと言ってましたよ。”それを聞いてホッとしましたね」

 

 しかし、極限の緊張状態は、翌日、試合前のロッカールームでも続いた。

 

「やはりW杯のゲームは特別なんですよ。普通のテストマッチとは全然違う。恐怖とプレッシャーから逃げ出したくなってくるんです。それに押し潰されないように、狂ったように叫ぶ。“気合い入れて行くぞォ!”とかね。そうでもしないと平常心が保てないんです」

 

 伊藤にとっては99年ウェールズ大会に続く2度目のW杯。スコットランド戦は代表キャップ50回目の記念すべき試合でもあった。

 

 入れ込み過ぎたのか、開始早々に伊藤はやらかしてしまう。センター元木由起雄からのパスを落としてしまったのだ。痛恨のノックオンである。

 

 伊藤の回想。

「よりによってファーストタッチがノッコンですよ。ああ、やっちまったァと天を仰ぎましたよ。皆、何も言わなかったけど、腹の中では怒り狂っていたと思いますよ」

 

 このノックオンをきっかけに自陣深くまで攻められ、PKのピンチを迎えた日本だが、今度は逆に相手がミスを犯した。

 

「向こうのキッカーはウイングのクリス・パターソン。キック力には定評のある選手なんですが、外してくれた。名手でも緊張する。それがW杯なんですよ」

 

 だが災い転じて福と為す――。痛恨のミスが、逆に伊藤を奮起させる。

「あのミスで完全にスイッチが入りましたね」

 

(後編につづく)


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