世間を騒がせている高校野球の特待生問題に関する高野連の対応を見ていると、あれから百年近くたつというのに、野球人はいまだに「野球害毒論」の呪縛から解き放たれていないのではないかと寂しい気分になる。

 1911年、東京朝日新聞社が野球を糾弾する一大キャンペーンを張った。それが世にいう「野球害毒論」である。紙面で朝日新聞は知識人の次のようなコメントを紹介している。

「良選手と良学生とは多くの場合両立するものではなくして、野球の選手に学術の出来るもの品行の良きものはない。私の学校では絶対に野球を禁じてはないが只運動の範囲内で許しているので他校とは勿論試合を厳禁している」(川田正澂府立第一中学校長)

「(渡米試合までして)野球をやらなければ教育ができぬというのなれば、早稲田・慶應はぶっつぶして政府に請願し、適当なる教育機関を起こしてもらうがいい。早稲田・慶應の野球万能論の如きは、あたかも妓夫や楼主が廃娼論に反対するがごときのもので一顧の価値がない」(磯部検三日本医学校幹事)

 反野球派の知識人に共通していたのは野球に対する明らかな蔑視である。野球、もっというならばスポーツは勉学の下位に位置するものであり、そんなものに現(うつつ)を抜かす者はとんでもない輩だとの差別的感情が言葉の端々ににじんでいた。

 勉学も品行も大切だが野球は素晴らしいスポーツであり、それに打ち込むことでより人間性は磨かれ、人生を潤いのあるものにすることができるのだ――せめて野球人の側からこれくらいの反論はしてもらいたかった。

 ところが今に至るも野球に対するコンプレックスを持ち続ける野球人が多いのはどうしたわけか。「僕は野球だけをやってきたわけではありません」と憮然と答えたプロ野球選手がいたが、一芸に秀でることは、やがて万物を究めることにつながるのである。

「野球害毒論」が世上をにぎわしている、まさにその年に発表された文豪・森鴎外の名作『雁』に次のような一節がある。<一匹の人間が持っているだけの精力を一時に傾注すると、実際不可能な事はなくなるかも知れない>。特待生諸君、キミたちは何も悪くない。「胸を張って生きろ!」と告げたい。

<この原稿は07年5月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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