「PRIDEは、どうなっちゃうんですか? もう日本で大会が開かれることはないんですか? アメリカに行っちゃうんですかね…」
 先日、池袋東口にある「アントニオ猪木酒場」で仕事仲間と打ち合わせがてら呑んでいた時に、そんな風に話しかけられた。
「PRIDEが好きで、ずっと会場へ行き続けていたんです」
 そう、淋しそうに話していた。
 5月20日に予定されていた『PRIDEライト級グランプリ開幕戦』が延期になった。セミ・ファイナルが予定されていた7月の名古屋大会で開幕戦を行なうとのことだが、それも定かではない…と見ているファンは多い。結局、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、ヴァンダレイ・シウバらトップ選手はUFCへと吸収されPRIDEが消滅してしまうのではないかと皆心配しているようだ。

 経営者が変わった。ならば、路線が変更される可能性は十分にある。日本よりも米国での大会開催に力が注がれるかもしれない。それでも、このままPRIDEが消滅することはないだろう。ロレンゾ・フェティータ氏も買い取ったPRIDEの興行権を無駄にするはずもない。

 PRIDEは10年の歳月を経て、現在の形を築いた。では、これからの10年で何を目指して動くべきなのか。
 それは、総合格闘技の競技としての確立だろう。
競技の確立というと「エンターテインメント性を廃すること」と考える人が少なくないようだが、そうではない。闘いにおけるドラマの表現は十二分にすべきだと思うし、PRIDEのリングは、観る者を熱くさせてくれる場であり続けて欲しい。
 ただ、競技性を確立することで、総合格闘技を永続的な文化にする必要があると私は思っている。
ここ数年、総合格闘技は多くのファンに親しまれた。しかし、まだ競技、文化としては認知されていない。いわば、テレビ局のソフトの一つとして扱われてしまっているのだ。
 たとえば、プロ野球やJリーグの試合ならば、その結果は各テレビ局のスポーツニュースで報じられる。しかし、『PRIDE』や『HERO’S』の大会が行われた夜、その試合の模様は放送権を得ている局以外のスポーツニュースでは伝えられない。フジテレビなどは、PRIDEの放映を打ち切った直後から、そのイベント自体が、まるで存在しないかのように無視を決め込んでしまった。つまり、総合格闘技は、テレビというメディアにとってスポーツ報道の対象ではなく、バラエティ番組と同様にソフトの一つだったわけだ。

 今後も大会主催者が、テレビ放映の視聴率ばかりを気にし続けるようなら、ブームが過ぎ去った時に総合格闘技は消滅してしまうだろう。視聴者にあきられ人気のなくなった番組が打ち切られ消えゆくように…。
『PRIDE』が今後やるべきは総合格闘技の競技としての確立。そのことを考えると、いま地上波のテレビ放映がないことも原点に戻る意味で決して悪いことではない。またアスレティック・コミッション監視の下、競技性の育みを求められる米国で大会が開催されることもプラス要素のように思う。まずはUFCとのルールの統一、そして、選手のファイトマネーの公表をはじめとする情報公開…等々。ファンに対する受けを狙うだけではなく、地道にやるべきことは山ほどある。

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近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜(文春文庫PLUS)』ほか。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)
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