世間を騒がせている西武球団の利益供与問題。いわゆる「裏金」には2種類あると私は考える。ひとつは違法性の疑いの濃いもの。多額の“栄養費”などを選手側が税務申告しなかった場合、脱税の罪に問われる可能性がある。仮にキックバックを要求し、不正に懐に入れた者が球団内にいたら、それは背任にあたる。

 もうひとつの「裏金」は契約金の上乗せ。1994年度のルール改正で最高標準額は1億円(95年以降は出来高5000万円を加えた1億5000万円)との申し合わせがなされた。だが西武球団は94年以降、約12億円を“ヤミ契約金”として使っていたことが明らかになった。契約金の最高標準額はNPBのいわば内規であるため、違反しても法的には問題ないと言われれば確かにそうだ。上限オーバーとウワサされている選手たちを、あたかも犯罪者のように見なすのはやめるべきだ。

 しかし、だからといって「上限を設け、守るのは独占禁止法違反の疑いありだ」と開き直るのはどうか。独禁法違反を持ち出すのなら、同様にエクスパンションに非寛容な12球団体制にも言及すべきだろう。個人的にはこちらのほうがはるかに問題が多いのではないかと思う。

 法律家によっても見解の異なる独禁法論争をいくらやったって仕方がない。重要なのは球界が決めたルールをなぜ球界自身が守れないのか。ここなのだ。守れないんだったら、最初から最高標準額など決めなければいいじゃないか。
 たとえば会社において新入社員が遅刻してきたとする。上司から時間を守るように叱られる。「いえ、僕は法律は犯していません。これは会社の内規でしょう」こう開き直るのと“ヤミ契約金”容認論者の態度は選ぶところがない。

 どんな社会、あるいは組織にも「義務」と「規律」がある。それを満たしてはじめて「権利」は生まれる。その延長線上に「自由」がある。それをはき違えているのが今のプロ野球だ。
 さらに言えば「裏金」は隠れた経営の圧迫要因にもなっていた。「裏金」に手を染めていた球団は今後口が裂けても「経営が苦しい」と言ってはならない。

 プロ野球は野球協約で「公共財」とうたわれている。「公共財」の奉仕者たる野球人に自覚と誇りが求められるのは言うまでもない。

<この原稿は07年4月11日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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