過ちを改めざる、これを過ちという――。toto(スポーツ振興くじ)の運営を見ていると「論語」の中に出てくる孔子のこの言葉を思い出す。日体協への07年度の助成金がゼロになることが明らかになった今、存在意義を見いだすのは困難だ。

 この2月には国会でこの問題が取り上げられ、答弁に立った伊吹文明文部科学大臣はこう答えた。「サッカーくじを野放図にしておいたら、最後は赤字を国民負担で償却しなければならない。(センターに)寄生虫のようにくっついて高い給料をもらっているのは批判からいっても許されない」。
 totoの“胴元”である「スポーツ振興センター」の所轄大臣がここまで言うのだ。これ以上の存続は公的資金の注入を意味する。

 売り上げは見事なまでの“右肩下がり”だ。販売が始まった01年度が604億円、02年度が408億円、03年度が202億円、04年度が155億円、05年度が149億円。減少に歯止めはかからず06年度は132億円。一般企業であればとっくに倒産である。もちろんのこと役員クラスは給料をもらえる状況にはない。

 ところが同センターは霞が関の高級官僚の天下り先になっており理事長には1920万円、理事にも1500万円の年収が保証されていると言われている。これでは「スポーツ振興くじ」ならぬ「天下り振興くじ」だ。伊吹大臣も「寄生虫批判」をする前に人件費削減などのコスト対策を真剣に講じるべきだろう。

 誤解なきよう申し上げておくが私はtotoそのものに反対しているわけではない。この国のスポーツ振興のためにtotoは必要だと思っていたし、今でもそう思っている。
 しかし、センターがやってきたことはあまりにも一貫性がない。導入当初は「射幸心をあおる」という理由で当選金の上限を1億円におさえていた。ところが売り上げが減少の一途をたどると最高6億円の「BIG」を発売するありさま。周知のようにこれはコンピュータがランダムに指定するもので推理のおもしろみもへったくれもない。これこそ「博打(ばくち)」そのものではないか。悪いことは言わない。今が潮時である。

<この原稿は07年4月18日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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