6年前の話である。獣神サンダー・ライガーが某番組に持ち込んだ“千の顔を持つ男”ミル・マスカラスの試合用マスクに120万円の鑑定価格がついたのを見て、びっくりした記憶がある。

 

 

 マスカラス人気が沸騰したのは、1977年の全日本プロレス「エキサイト・シリーズ」でアクション映画「スカイ・ハイ」のテーマソングを背に入場するようになってからだ。

 

 爽快でリズミカルなメロディは、マスカラスの華麗な空中殺法に見事にマッチした。これにより、同曲は国内の洋楽チャートで3月14日から11週連続1位を記録した。レコード会社も“うれしい誤算”だったに違いない。

 

 ロサンゼルスを主戦場にしていたマスカラスを、日本国内で一躍、有名にしたのが、全日本プロレス中継の解説を務めていた竹内宏介だ。

 

 マスカラスに肩入れする竹内は自らが編集長を務めるゴング誌に、来日前から頻繁に特集記事を組んだ。これにより「ゴングのマスカラスか、マスカラスのゴングか」と呼ばれるほど、熱心な読者を獲得した。

 

 アントニオ猪木が新日本プロレスを創設したのが72年1月。その8カ月後にジャイアント馬場が全日本プロレスを設立している。

 

 興行面で新日本に押され気味の全日本にとって、マスカラスは、文字通りの“ドル箱スター”だったのだ。

 

 しかし、馬場がマスカラスのファイトスタイルを好んでいたかというと、どうもそうではなかったようだ。

 

 自著にこんな記述がある。

<オレとは、タイプがまったくちがうし、オレたちが力道山先生から教わったプロレスとも、だいぶちがうので、あのカッコをつけたポーズだけが気に入らないわけなんです。全日本プロレスの若手レスラーたちに、あれをマネされては困りますからね>(『たまにはオレもエンターテイナー』かんき出版)

 

 力道山のプロレスの定義はケンカである。やや腰を落としてひざを曲げ、相手がどこから仕掛けてきても対応できるように構える。それが基本だ。ところがマスカラスは見てくれを気にしてアップライトに構えることが多く、それが昔気質の馬場には、「カッコばかりつけやがって」と映ったようだ。観償用のレスラーだというわけである。

 

 それでも馬場は、こう述べている。

<マスカラスをニセモノだなどとは思っていませんよ。彼はやはり、超一流のプロレスラーです>(同前)

 

 こちらは社長としての意見か。プロレスは奥が深い。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2024年5月3日号に掲載された原稿です>

 


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