第272回ラグビーの仕事人 田中史朗の第2章

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 単なるうるさ型なら、彼が長きに渡り、代表チームで重宝されることはなかっただろう。言うべきことは言うが、やるべきことは、しっかりやる。だからこそヘッドコーチやチームメイトから信頼を勝ち得ることができたのだ。

 

 

 元ラグビー日本代表で、2011年ニュージーランド大会、15年イングランド大会、19年日本大会と、3度のW杯に出場し、歴代7位の通算75キャップを誇る田中史朗(NECグリーンロケッツ東葛)が、今シーズン限りでの引退を発表した。

 

 現在、39歳。「本当にきつい。限界を感じた」ことを引退の理由にあげた。

 

 身長166センチの小柄ながら、大学卒業後、17年間も第一線でプレーできたのは、闘争心と節制の賜物だろう。

 

 キャリアのハイライトはエディー・ジョーンズ指揮下のイングランド大会か。

 

 初戦の南アフリカ戦で大番狂わせを演じ、“ブライトンの奇跡”と称えられた。このゲームに、田中はスクラムハーフとして66分間出場し、34対32の逆転勝ちに貢献した。

 

「僕はスーパーラグビーで、いろんな強いチームとやってきた。その経験に照らしていえば、思っていたほどのプレッシャーはなく、こっちもボールをしっかりと前に運ぶことができていた。だから、あっ、これならいけるだろうと思っていました」

 

 事件は第4戦の米国戦前に起きた。

 

「ある外国人選手が練習で反則を繰り返している。そこで僕が怒ったら、そいつが言い返してきた。そこへ割って入ってきたのがエディー。“こいつは反則を犯して自分にプレッシャーをかけている”と。それが僕には“こいつだけは反則を犯していいんだ”みたいに聞こえた。それで僕もカッとなって、“そりゃ、おかしいやろ”って。以来、エディーはずっと機嫌が悪かった(笑)」

 

 日本は米国に28対18で勝ち、日本ラグビー史上最多の3勝をW杯で記録した。

 

 田中の性格について、11年大会、15年大会と、ともに代表の一員として戦った大野均は「自分がどういうふうにチームメイトに見られているかを、彼はいい意味でも悪い意味でも気にしない」と語っていた。

 

 ヘッドコーチに対しても、はっきりとモノを言う田中は、誰に対しても物怖じしない。忖度もしない。それが彼の最大の持ち味だ。

 

「将来的には日本代表のヘッドコーチをやってみたい」

 

 有言実行の男の、第2章がスタートする。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2024年5月31日号に掲載された原稿です>

 

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