プロボクサーの川嶋勝重は、いつものように自らが運転するライトバンで米を配達していた。プロボクサーとはいっても、ファイトマネーだけで生活できる選手は、世界チャンピオンなどほんの一握り。川嶋も例に漏れず、日中は米屋さんで働いていた。
 2000年3月8日、午前9時過ぎ。カーラジオから臨時ニュースが流れた。営団地下鉄の車両が脱線して反対側からきた電車に衝突、4人の死者と33人の重軽傷者が出ていると、アナウンサーがまくしたてるように伝えた。
「信じられないようなことが起こるんだなァ……」
 川嶋は漠然と、そのニュースに耳を傾けていた。
 次の瞬間だ。アナウンサーが口にした4人の死者の中に、聞き覚えのある名前があった。
「トミヒサ……」
 まさか!? と川嶋は耳を疑った。
「珍しい苗字だけど、アイツってことはないだろうなァ……」
 夕方、いつものように横浜市内のジムに行った。ジムに近づくにつれ、不吉な予感がふくらんでいった。ジムには、それまで見たこともないほど大勢の報道陣が詰めかけていた。
 不吉な予感は現実のものとなった。
 犠牲者の中に「富久信介」という名前があった。
「もう信じられない。ただただそれだけでしたね……」
 視線を床に落として、ポツリと川嶋は言った。

 富久信介君は私立麻布高校に通う高校2年生だった。この日は「英語」の試験日にあたり、普段より1時間遅く横浜市西区の自宅を出た。
 富久君は学業も優秀で、東大への進学を目指していた。その一方でボクシングのムシに取りつかれ「東大に行きながらプロボクサーを目指す」と周囲に語っていた。
 川嶋は富久君にとってジムの先輩にあたり、何かとアドバイスを求められた。
 振り返って川嶋は語る。
「結構、細かいことを聞いてくるんですよね。たとえば左フックを返すにはどうすればいいかとか。頭がいいというか、ちょっとコナマイキというか……。でも憎めないヤツでした。プロになるというのは本気だったみたいですよ。思い出といえば、アイツ、いつもヒョウタン型の茶色の水筒を担いでジムに来ていたんです。それを、いつも更衣室に掛けていた。余程、お気に入りだったんでしょうね。それが見られなくなった時、無性に寂しさを感じました。アイツ、もう二度とジムには戻ってこないんだなって……」

 川嶋がプロボクサーになったきっかけは、ほんの偶然だった。
 千葉県内の私立高校を卒業した川嶋はある大手企業の工場に勤める。中学、高校と野球をやっていたこともあり、社会人でも軟式野球部に入った。肩と足にはそこそこ自信があった。そんなある日、高校時代の友人からボクシングのチケットが送られてきた。友人はプロボクサーになっていた。それがナマで見る初めてのボクシング観戦だった。
 4回戦ボーイだというのに、久しぶりに再会した友人はリングの上で輝いて見えた。スポットライトを浴びてスターのように映った。
「あれは衝撃的でした」
 振り返って川嶋は言う。
「こんな世界があるのか、と思った。よし、オレもやるぞと。すぐに会社を辞めて友達のアパートに転がり込んだ。昔から格闘技が好きだったので、眠っていた血が騒ぎ始めたのかもしれません」
 21歳で大橋ジムに入門した。1年がたち、元ストロー級世界王者大橋秀行会長に「プロテストを受けたい」と告げるが「ダメだ」と拒否された。アマチュア経験のない川嶋はボクシングの基本ができておらず、技術的にも粗さが目立った。
「そこでアマの試合に出場させたら、いきなり右一発でKO勝ちを収めた。それでプロテストを受けさせることにしたんです。正直言って最初は何も目立つところのない選手だったんですが、練習は真面目だし、集中力がある。それが今の彼をつくっていますね」
 弟子を見やりながら、大橋は言った。

 着実に力を蓄えてきた川嶋に世界ランキング入りのチャンスが巡ってきた。
 昨年8月27日、川嶋は元WBA世界スーパーフライ級王者で同級7位のヨックタイ・シスオー(タイ)と戦う機会を得た。勝てばヨックタイの持つ7位というランキングが手に入る。
「負けたら引退する」
 そのくらい強い覚悟で川嶋はヨックタイ戦に臨んだ。
 現在は王座から陥落しているとはいえ、過去、世界王座を4度防衛しているテクニシャン。なかなか川嶋が得意とするインファイトに持ちこむことができない。
 前半はほぼ互角。川嶋は後半、勝負に出た。8ラウンド、右クロスをクリーンヒットさせ、さらには左フックを顔面へ。9ラウンドは左右のフックを小気味よく決め、ヨックタイの足を止めた。
 判定は3対0で川嶋。元世界チャンピオンとの打撃戦を制し、川嶋は自らを世界ランカーへと押し上げたのである。
 振り返って川嶋は語る。
「やっぱり相手は元世界チャンピオン。手を出さなくても距離を詰めてくる。そのプレッシャーが凄かった。でもこのプレッシャーに打ち勝たないことには負けてしまう。この勝利は自分にとって大きな自信になりました」

 この試合は信介君の父・邦彦さんも観戦していた。
 川嶋は今でも大事な試合の前には、富久家を訪ね、遺影の前で勝利を誓う。
「おとうさんに言われたんです。息子の分まで頑張ってくれ。川嶋さんはやれる人だから、とことんやって欲しいって」
 遺影の前で誓ったことがある。
「もし世界戦ができるのなら、その時はアイツのイニシャルである“S・T”をトランクスに入れたい。アイツと一緒に戦いたいんです」

<この原稿は2002年7月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>
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