2009シーズン、愛媛FCは12勝11分28敗でJ2リーグ戦15位(18チーム中)という成績に終わった。
 開幕から3連勝をマークし、期待が膨らむシーズン序盤だったが、その後失速。中盤と終盤にも3連勝をマークする浮上の機会が2度訪れたのだが、そのチャンスを掴みきれないまま、調子を持続できず、当初の目標でもある1ケタ順位を実現することはできなかった。
 愛媛FCはJリーグ36クラブ中、登録選手数が一番少ない状況でシーズン開幕を迎え、選手たちのケガや疲労の蓄積などにより、中盤戦以降のチームコンディションは悪化の一途をたどってしまった。このことも目標を達成出来なかった理由のひとつに挙げられる。
 苦しいチーム状況の中、私たちサポーターと共に闘ってくれた選手たちだが、シーズン終了を迎え、この愛媛から旅立っていく人もいる。
 現役引退を決意し、プロサッカー選手としての生活にピリオドを打つことになった千島徹選手。そしてクラブとの契約満了に伴い、愛媛FCを退団することになった田中俊也選手だ。
 
 2009年11月29日(日)、ホームゲーム最終戦(J2第50節、サガン鳥栖戦)の試合終了後には、その千島選手の引退セレモニーが行われた。
 花束の贈呈などがあり、セレモニーの最後では千島選手から会場内の皆さんへお別れの挨拶が行われた。
「愛媛FCに入団して約3年半という時間を過ごさせて頂きました。その間、最高のチームメイトとサポーターの皆さんに恵まれ、楽しく充実した時間を過ごさせて頂きました。選手としては大きなケガもあり、すべての時間が、充実したものとは言えませんでしたが、いつでもチームメイトやサポーターの皆さんに励まされ、支えられ、温かく見守り続けて頂きました。
 おかげで今日この日まで、(愛媛FCの選手として)プレーすることができました。サッカーの大好きな人間が集まるこの空間で、そのど真ん中にあるピッチの上でプレーできたことは、本当に幸せな時間でした。あと数日もすれば、プロサッカー選手ではいられなくなってしまいますし、来年には地元・埼玉へ戻ることになりますが、愛媛FCのことは絶対に忘れません。そして来年からは、いちサポーターとして(愛媛FCを)応援し続けていきます。長い間、幸せな時間をありがとうございました!」

 2008シーズン最中、ケガで戦列を離れた千島選手へ、私たち愛媛FCサポーターズクラブ「ラランジャ トルシーダ」から、元気になってもらおうと皆でメッセージを書き込んだ寄せ書きを贈らせて頂いたことがあった。その時節、思わぬケガ続きで精神的にも落ち込んでいた千島選手だったが、サポーターから届いた寄せ書きを見て、「本当に励まされた」と後日、感謝の言葉が伝わってきた。

「辛い時期を耐え忍び、愛媛のために闘ってくれたのだな」と別れの挨拶に耳を傾けながら、「こちらこそ、感謝をしたい。」という気持ちで胸がいっぱいになり、熱いものが込み上げてきた。
 今後、千島選手は埼玉県の川越で新たなビジネスにチャレンジする模様だが、その道での成功を祈りたいと思う。
 
 千島選手の引退セレモニー終了後、ホーム最終戦ということで、愛媛FC全選手が会場内を一周し、観客たちへ挨拶して廻った。その途中、ゴール裏のサポーター席の前では、田中選手によるお別れの挨拶が行われた。
「4年半でしたが、ありがとうございました。これからの事は、いろいろと考えており、まだ(現役を)やっていきたいと思っていますので、また応援よろしくお願いします。今まで、ありがとうございました!」
 挨拶の後、サポーターたちから大量の花束やプレゼントを受け取り、目を赤くし、あふれる涙を拭っていた田中選手が、とても印象的であった。

 JFL時代の愛媛FCへ入団し、J2初年度からはエース・ストライカーとして大活躍。「愛媛FCの顔」的な存在として広報や地域活動など、多方面において頑張ってきた田中選手。ケガなどもあり、このところ充分な活躍はできなかったが、彼のポテンシャルはこんなものではないはずだ。「元愛媛FCのエース!」としての誇りを胸に、ぜひとも新天地では、その秘めた力を存分に発揮して欲しいと思う。


松本 晋司(まつもと しんじ)プロフィール
 1967年5月14日生まれ、愛媛県松山市出身。
 愛媛FCサポーターズクラブ「Laranja Torcida(ラランジャ・トルシーダ)」代表。2000年2月6日発足の初代愛媛FCサポーター組織創設メンバーであり、愛媛FCサポーターズクラブ「ARANCINO(アランチーノ)」元代表。愛媛FC協賛スポンサー企業役員。南宇和高校サッカー部や愛媛FCユースチームの全国区での活躍から石橋智之総監督の志に共感し、愛媛FCが、四国リーグに参戦していた時期より応援・支援活動を始める。
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