巨人、阪神などで活躍した小林繁氏が去る1月17日、心筋梗塞による心不全のため急死した。まだ57歳だった。

 小林氏といえば、いわゆる“江川事件”のもうひとりの当事者でもあるが、ここでは詳しくは触れない。阪神に“身代わりトレード”された1979年、22勝をあげ、自身、2度目の沢村賞に輝いた。細身の体を深く沈め、ムチをしならせるようにして右腕を振る独特のサイドハンドスローは一世を風靡した。

 この小林氏は鳥取県の出身である。鳥取県の人口は、わずか約59万人。日本で最も人口の少ない県だ。高野連に登録している硬式野球部のある高校は25校(2001年5月現在)で甲子園への競争率は日本で最も低い。その割には名投手をたくさん輩出している。プロ野球史上第2位の350勝をあげた米田哲也氏、奪三振王に3度輝いた快速左腕の川口和久氏、巨人の抑えのエースを務めた角盈男……。錚々たる顔触れが並ぶ。しかし、プロで大成した野手はひとりもいない。これはなぜなのか。

 川口氏は説明する。「野球人口が少ないから体が大きくて運動神経のいい子は皆、ピッチャーになる。高校野球はひとりいいピッチャーがいたら、何とかなりますから」
 さらには、こんな独自解説も。「小林さんしかり、角さんしかり。皆、独特なフォームでしょう。悪く言えば指導者不足の表れ。よく言えば早い段階から型に入れられていない。だから個性的なフォームが出てくるんですよ。かくいう僕も高校時代のフォームについて、ほとんど教わった経験がない」

 ところが加藤伸一が04年に引退したのを最後に、鳥取県出身のプロ野球選手は一人もいない状況が続いている。そればかりか小林氏の急死でコーチもひとりもいなくなってしまった。
 小林氏も草葉の陰で寂しい思いをしているに違いない。

<この原稿は2010年2月6日号『週刊ダイヤモンド』に掲載されたものです>

◎バックナンバーはこちらから