数ある日本代表のゴールシーンの中で、芸術的という意味において最も印象深いのはフランスW杯アジア地区最終予選、ホームでの韓国戦で山口素弘が決めたループシュート(loop shoot)である。
 右足のツマ先でひょいとすくい上げたボールは緩い弧を描き、相手GKを嘲笑うかのようにゴールに吸い込まれていった。まるで国立競技場のその一部分だけ時間が止まったかのようだった。
 後日、本人に聞くと前は塞がれ、パスを出そうにも援軍はない。四面楚歌の状況で「これはもうすくい上げるしかないな」と咄嗟に機転をきかせたというのだ。要は“遊び心”である。

 言うまでもなくループ(loop)とは輪を意味する。ループシュートは弧を描くことからそう命名されたのだろう。
 しかし、これが形容詞、すなわちルーピー(loopy)となると、まるで意味合いは違ってくる。
 過日、ワシントンポストの人気コラムニスト、アル・カーメン氏が「loopy Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama」と書き、物議をかもしたことは記憶に新しい。
 筆者は核安全保障サミットに出席した36人の各国首脳がバラク・オバマ大統領との個別会談の時間を競い合った結果、夕食の席での非公式な会談しかもてなかった鳩山首相を「負け組」と断じたのだ。
 日本のいくつかのメディアがloopyを「愚か」とか「いかれた」と訳し、ほら見たことかとばかりに鳩山首相への批判攻勢を強めたところ「この場合のルーピーは“不思議な”とか“現実離れしている”と訳すべきだろう」という反論も飛び出し、筆者の預り知らぬところでルーピー騒動は全く別の盛り上がりを見せてしまった。

 サッカーに話を戻そう。ループシュートにも“不思議な”とか“現実離れしている”というニュアンスが込められているとしたら夢が広がる。それは想像力の産物でもあるからだ。
 正岡子規はボールゲームを「球技」ではなく「球戯」と訳した。すなわち「球と戯れる」。この遊びの精神が今の代表には少し足りない。
 この期に及んで代表選手にああしろ、こうしろとは言うまい。ただ“遊び心”は忘れずに。

<この原稿は10年5月19日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから