第295回 猪木は「猛獣使い」 独裁者との交渉力

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「オレはバイ(1対1)に強いんだ」

 

 

 参議院議員になった頃、アントニオ猪木はよくそう語っていた。

 

 理由を訊ねると、プロレスラーとして、長年1対1の勝負を演じてきたから、「相手が駆け引きを使ってきても驚かない」のだそうだ。

 

 そう言えば政治とプロレスは、よく似ている。表もあれば裏もある。寝返りや裏切りは日常茶飯事。昨日の敵は今日の友。その逆もある。

 

 ソ連から「レッドブル軍団」が新日本プロレスに参戦したのは1989年4月のことだ。猪木はプロレス界初の東京ドーム興行を成功に導いた。

 

 しかし、実現までの道のりは平坦ではなかった。調印寸前になってソ連政界の大物が「オマエらばかり儲けるなんて冗談じゃない!」と激昂し、破談になりかけた。

 

 さて、猪木はどうしたか。

「オレはとうとう頭にきて目の前の書類をブン投げてやった。“もう止めた!”ってね」

 

 猪木によると、壊れかけた話をまとめたのが「“KGB(ソ連の国家秘密委員会・現FSB)の将軍”と呼ばれたバグダノフという男」。ここでも猪木の「バイの強さ」が発揮された。

 

 KGBの「将軍」どころではない。猪木はキューバで、「独裁者」フィデル・カストロの心をも掴んだ。

 

 弟の猪木啓介は自著『兄』(講談社)で<通訳も介さず意思疎通できているのは何とも不思議な光景だった>と述べている。

 

 相手が「将軍」であろうが「独裁者」であろうが、猪木は、徒手空拳で懐に飛び込み、手なづけていく。ある意味“究極の猛獣使い”だ。

 

 過日、古い資料を整理していて、猪木がニカラグアのビオレタ・チャモロ大統領の就任式に出席した直後の取材メモが出てきた。

 

 同国初の女性大統領の前任は反米左派の「猛将」ダニエル・オルテガだ。キューバに亡命してカストロから軍事訓練を受け、サンディニスタ民族解放戦線を率いた。

 

「チャモロ女史を祝福する指導者の群れの中に、オルテガの姿もあった。寂しそうではあったが、彼は最後まで毅然とした態度を崩そうとはしなかった。男が去るとき、涙を流してはならない。未練がましくあってはならない。オレは地球の裏側でそんなことを考えていた……」

 

 後にオルテガは大統領に返り咲き、さらに独裁色を強めていく。

 

 猪木なら、米国の「国王」気取りのドナルド・トランプ大統領とも、うまく渡り合えたのではないか。そんな妄想にかられる、やられ放題の春である。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2025年5月2日号に掲載された原稿です>

 

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