第1195回 プロ野球「長嶋賞」選考には説得力が欠かせない
来季新設の「長嶋茂雄賞」は、「走攻守で顕著な活躍をし、ファンを魅了するなど、日本プロ野球の文化的公共財としての価値向上に貢献した野手」を対象としている。選考基準については明らかにされていないが、打撃部門の数値に縛られるくらいなら、むしろない方がいい。長嶋さん自身が「記録より記憶」の人である。あらゆる数値を超えた「価値」こそが、この賞の精髄だと考えたい。
プレーヤー個人の名前を冠した賞としては、MLBのサイ・ヤング賞よりも古い歴史を誇る「沢村栄治賞」があげられるが、こちらは、登板25試合以上、完投10試合以上、15勝以上など7項目の選考基準がある。来季からは完投数や投球回数が緩和されるというが、いずれにしても基準に従って候補者が絞られ、両リーグから原則ひとりが選出される。受賞者なしのケースもある。
翻って長嶋賞の場合、個人的イメージとしては「国民栄誉賞」に近い。そう書くと「国民栄誉賞を受賞したスポーツマンは功成り名を遂げた選手。長嶋賞の対象は現役バリバリだろう」と反論する向きもあるだろうが、そういうことを言っているのではない。似ているのは、ふんわりとした賞の輪郭だ。
国民栄誉賞は福田赳夫政権下の1977年に制定され、この年、本塁打の「世界記録」を達成した王貞治が栄えある第1号に選出された。表彰規程は、極めてシンプルだ。<広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えることを目的とする>。この曖昧な規程ゆえ、しばしば、あの選手が選ばれているのに、この選手が選ばれていないのはおかしい、といった議論が巻き起こるが、そもそも明文化された基準も、選考委員会も存在しないのだから、言うだけ無駄である。国民栄誉賞において、最も重要なのは、「あの人なら、確かにこの賞にふさわしい」と誰もが納得する、いわば“国民の暗黙の合意”である。これが崩れてしまえば、賞の価値どころか、賞の意味そのものまでなくなってしまう。
もっとも長嶋賞には、国民栄誉賞との相違点もある。それは選考委員会の存在だ。来季が始まる前にはメンバーが決まると見られている。
長嶋賞に対しては誰が「選ばれたか」にもまして、誰をどう「選んだか」に興味がある。必然的な帰結として選考委の役割はきわめて大きなものとなるだろう。
発表に際しては、どういうプレーが長嶋さんを彷彿とさせたのか、どういう姿に往時の長嶋さんの姿が重なるのか、なども説明してもらいたい。長嶋賞を「100年、200年続くような賞」(NPB榊󠄀原定征コミッショナー)とするためには、国民に向けた説得力のあるメッセージが欠かせない。“ミスタープロ野球”の称号を持つ長嶋さん。これは「いわゆるひとつの賞」ではない。プロ野球の消長を占う「いわゆるすべての賞」である。
<この原稿は25年11月19日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>
