柔道界の八将神ウルフアロン プロレスで新たな「物語」を ~二宮清純特別寄稿~
柔道における「3冠」とは、全日本選手権、世界選手権、五輪の3つの大会の優勝者を指す。栄えある3冠達成者(男子)は、過去に8人しかいない。猪熊功、岡野功、上村春樹、山下泰裕、斉藤仁、井上康生、鈴木桂治、そしてプロレスラーとなったウルフアロン。陰陽道の言葉を借りれば「八将神」のひとりである。
24年パリ五輪後、メディアの仕事を如才なくこなしていたウルフに、今後の身の振り方について聞くと「ビジネスに興味がある」と答えた。プロレスラーという職業も確かにビジネスの一つだが、これは灯台下暗しだった。
新日本プロレスは、柔道界の宝を、どうやって口説いたのか。昨年6月の入団会見で、ウルフは「私から入りたいとお話しさせていただいた」と明かした。そして、こうも。「“なぜプロレスを”と言われたら、好きだからです。試合前、試合、試合後、全ての生きざまを見せるのがプロレスだと思っています」。ご明答である。
だが五輪の柔道金メダリストという金看板だけでは、斯界のトップには立てない。アントン・ヘーシンクしかり、ビレム・ルスカしかり。1973年にプロレスデビューを果たした柔道王ヘーシンクを、ジャイアント馬場はこう評している。「柔道着を着て押さえ込まれたらあんなに強い男はいないが、裸になったらあんなに弱い男はいない」(『ヘーシンクを育てた男』眞神博・文藝春秋)
それでも高い腰の位置から放たれる払い腰と体落としが奏でる重低音は、サラウンド効果満点で、あれも決して安くはない入場料の一部だったと知るのは、ものの分別がつくようになってからである。
1976年2月、アントニオ猪木の「異種格闘技戦」の最初の相手に指名されたルスカについては、自らの「強さ」を持て余しているような印象を受けた。猪木戦前、ルスカの極秘のスパーリング・パートナーに選ばれたのが、当時日大レスリング部に所属していた谷津嘉章だ。「ルスカのかいな力は半端ではなかった」と谷津。「ぐっと引きつけてからの内股や払い腰は逃げようがなかった。しかも体幹が強いから体がぶれない。道着を着てたら誰もかなわなかった。あれは化け物でしたよ」
ルスカのプロレス参戦から50年。パリ五輪直後にウルフからプロレスラーへの転身について聞いた東海大柔道部監督(当時)の上水研一朗は、「目立ちたがり屋だし、性格的に向いている」と思ったという。「彼の最大の長所は同じ失敗を繰り返さないこと。東京五輪100キロ級の決勝がそうです。チョ・グハム(韓国)は、19年の世界選手権で敗れた相手。一本背負いによる技ありで負けたのですが、これを研究し尽くした。彼は賢いんです」。ウルフは釣り手争いを制することでチョの一本背負いを封じ、最後は伝家の宝刀・大内刈りで9分超の死闘を制した。
プロレスは、同じ相手と何度も戦う。古舘伊知郎いうところの「名勝負数え歌」は、見る側の期待値を超えていく、その連続性によって紡がれ、厳しい視線に鍛えられながら「物語」へと昇華する。そのメカニズムに対し、極めて高い理解度を示す新王者ウルフの躍進を祈念する。
<この原稿は26年1月5日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>
