第1201回 農業高校の野球よ センバツでも実れ

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 私の生まれ故郷の愛媛県に西条農という農業高校がある。高校野球の話をしていると、よく「甲子園に出る学校ですよね」と水を向けられる。

 

 西条農は西条農でも、それは広島県立西条農の方だ。春は1988年、夏は91年と93年、計3回甲子園に出場している。91年の夏は、1回戦で東北(宮城)に4対3でサヨナラ勝ちを収めている。サヨナラのホームを踏んだのが、後に近鉄・東北楽天で活躍する礒部公一だ。

 

 ちなみに愛媛県で有名なのは西条農ではなく西条。こちらは春夏12回甲子園に出場し、59年夏には全国制覇を果たしている。巨人で監督を2度務めた藤田元司の母校としても知られる。

 

 選抜の32校の出場校の中に、21世紀枠として高知農の名前があった。1890年創立の県立の伝統校だが、甲子園出場は春夏通じて初めて。2021年度は新入部員がゼロとなり、連合チームとして地方大会に出場した。苦難を乗り越えての甲子園初切符だけに、喜びもひとしおだろう。

 

 全国的に農業従事者が減少の一途をたどる中、農業高校も統廃合が相次いでいる。1959年度に541あった全国農業高等学校長協会の加盟校は、18年度には367にまで減った。

 

 

 では全国で最も有名な農業高校は? それは秋田県立金足農だろう。甲子園に春夏11回の出場を誇る強豪で、18年夏にはエース吉田輝星を擁し、準優勝を果たした。農業専門紙の日本農業新聞は、1面でこの快挙を報じた。見出しは「農で培った底力」だった。

 

 もっとも農業高校が甲子園で決勝にまでコマを進めたのは、これが初めてではない。31年夏には初出場の嘉義農林(台湾)が全国中等学校野球大会で準優勝し、内地の人々を驚かせた。同校は内地人、本島人(漢民族)、高砂族による混成チーム。指揮を執った近藤兵太郎は、台湾野球への貢献が評価され、24年に台湾の野球殿堂入りを果たしている。

 

 嘉義農林の快挙の前年(30年夏)には、農業系の学校として長野県立諏訪蚕糸学校(現・岡谷工)も、決勝に進出している。準々決勝で松山商、準決勝で平安中と、全国屈指の強豪を撃破したものの、決勝では広島商の前に力尽きた。同校は「蚕糸と野球両道」をモットーとしていた。

 

 農業高校の番外編として紹介したいのは、劇画「巨人の星」で星飛雄馬のライバルとして描かれた佐門豊作擁する熊本農林。原作者の梶原一騎が同校のモデルにしたのは川上哲治の母校・熊本工であり、佐門の弾丸ライナーは、川上の打球に由来する。

 

 架空の熊本農林はともかく、農業高校の野球には、麦のようなたくましさとひたむきさが感じられる。そのように、つい農業高校に肩入れしたくなるのは、私が農家のせがれゆえか。ユニホームから作業着に着替えて農業実習に精を出す高知農の選手たちの、甲子園での“五穀豊穣”を願ってやまない。

 

<この原稿は26年2月4日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>

 

 

 

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