第290回 リマでの偶然の再会 ~ホルヘ・ヒラノVol.25~
1985年はホルヘ・ヒラノにとって不本意な年だったといえる。
ペルー代表ではワールドカップ出場権を逃した。所属するスポルティング・クリスタルはトルネオ・デセントラリサード(ペルー全国リーグ)のファーストステージで16チーム中10位に沈み、決勝リーグに進出できなかった。そんな中、気持ちを明るくしたのは、1月に長男が誕生したことだった。
翌2月、ヒラノはリマにある知人が経営するレストランに出かけている。店の入り口で意外な人と出くわすことになった。前ペルー代表監督のバラック・モイゼスだ。
この連載で触れたようにバラックはウニオン・ウワラル監督時代、10代のヒラノに目をつけてプロサッカー選手への道を拓いた。ペルー代表監督時代にはヒラノを招集した。ヒラノの恩人でもある。
バラックは、フィジカルコーチのハビエル・ベルトラン、そしてペルー代表のパナデロことルベン・トリビオ・ディアスと一緒にいた。
「このときバラックは、ボリビアのクラブチーム、ボリーバルの監督だった。シーズンオフの休暇でペルーに戻ってきていた」
バラックはヒラノを見つけると驚いた顔をして、「お前のことをずっと探していたんだよ」と言った。
ボリビア行きのオファー
当時は、携帯電話もなく連絡をとる術がなかったんだとヒラノは笑う。久しぶりの再会を喜んだ後、バラックはこう切り出した。ボリビアに行く気はないか、と。
85年、ペルー代表はアレキパでバラックが率いるボリーバルと練習試合を行っていた。アレキパはアンデス山麓に位置する標高2300メートルのペルー第2の都市である。ボコタで行われるコロンビア代表戦の高地対策のために組まれた試合だった。この試合でヒラノは素晴らしいプレーをしていた。クラブの首脳陣はその姿を見て、ヒラノを欲したのだ。
ヒラノには生活を変えたいという気持ちがあった。
「(85年にペルーでは)アラン・ガルシア政権になってから、激しいインフレーションが起きていた。パンの値段が毎日上がって行くんだ。とてもこれじゃ生活できないと思っていた」
スポルティング・クリスタルでヒラノの同僚だったアルフレッド・ケサダもヒラノの証言を裏付ける。
「コーキ(ヒラノの愛称)といえば、ぼくが引退した年、85年のことを思い出す。アラン・ガルシア政権となってから、ペルーの経済状態が非常に悪くなった。一番困ったのが砂糖が手に入らないことだった。ある週の金曜日にぼくが砂糖がないと嘆いた。そうしたら週明けの月曜日にコーキが砂糖を15キロも持って来たんだ。信じられなかった。代金を支払うといっても、これは先輩のために持って来たんだから、受け取れないと言うんだ。彼のお陰で砂糖が再び出回るまで持ちこたえることができた」
ケサダは1949年生まれ、12才からスポルティング・クリスタルでプレーしていた生え抜き選手である。ペルー代表として75年のコパ・アメリカで優勝、78年のワールドカップにも出場している。
アンデス山脈でペルーと国境を接するボリビアもまた85年に大統領選を行っていた。
ラテンアメリカにおけるドルの信頼性
ボリビアの主たる輸出物は鉱物である。主力輸出品である銅の国際価格が下落、さらに81年にアメリカが行った利上げで、ドル高になっていた。ドル建ての対外債務が自動的に増えることになる。さらにこの年には天候不順による作物の不作も起きている。大統領だったシーレス・スアソは経済危機を乗り切るため、紙幣を大量に刷り、物価高——インフレーションとなっていた。
85年のボリビアのインフレ率は約1万1800%だったという記録がある。市民生活は崩壊していたのだ。そこで総選挙が1年前倒しで行われ、大統領がパス・エステンソーロに代わった。パスは大統領就任直後、ドル固定為替相場の導入、輸入の自由化、政府系企業の縮小と解体などの政令を出した。通貨をドルと固定することで信頼性を回復させ、政府の経済への介入を減らしたのだ。いわゆる新自由主義に舵を切ったことになる。政令の直後、インフレーションは収まっていた。
通貨が脆弱なラテンアメリカでは、ドルがもっとも信頼できる通貨だ。国境を越えるサッカー選手たちは、契約をドル建てを望む。その国の通貨が暴落したとしても、ドルを持っていれば影響を受けないからだ。ただ、その国のクラブがドルで支払えるか、どうか、だ。ドルの保有はラテンアメリカの経済の一つの指標でもある。
「ボリビアは経済が安定しつつあって、ペルーにはなかったドルが手に入る」
また、ボリーバルはボリビアで最も人気のあるクラブで、この年のリベルタドーレス杯の出場権も手に入れていた。
「ぼくは、もちろん行きますよと答えました」
ここからヒラノの人生は次の章に入ることになる——。
(つづく)
田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。最新刊は、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)
代表を務める(株)カニジルは、鳥取大学医学部附属病院一階でカニジルブックストアを運営。とりだい病院広報誌「カニジル」、千船病院広報誌「虹くじら」、近畿大学附属病院がんセンター広報誌「梅☆」編集長。