7年前のドラフト会議、高校生の目玉は辻内崇伸(巨人)だった。野手で評価が高かったのは平田良介(中日)、陽仲壽(現岱鋼・北海道日本ハム)、岡田貴弘(T−岡田・オリックス)ら。今季、パ・リーグで首位打者に輝いた角中勝也の名前は、候補選手リストのどこを探しても見当たらない。無理もない。石川の日本航空第二高(現日本航空石川)でプレーしていた角中に甲子園出場経験はなく、誘われていた社会人チーム入りの話も、夏の予選敗退後には立ち消えになった。
 野球を断念するか、続けるか。高校時代の監督の助言もあり、悩んだ末に角中が選んだ道は、前年に誕生したばかりの日本初のプロ野球独立リーグ「四国アイランドリーグ」入りだった。

「色の黒いどんくさい子だなァ……」。それが角中が入団した高知ファイティングドッグスの当時の監督・藤城和明の第一印象である。打撃はどうだったのか。「あまりにも変化球が打てないので“オマエ、変化球のない国に行ってやれ!”と怒ったこともあります」。そしてこう続けた。「ただスイングは鋭く、速いボールには滅法強かった」

 その年の大学生・社会人ドラフト7巡目で千葉ロッテに入団。6年目でタイトルを手にした。今では独立リーグ出身者の出世頭である。

 11年前のドラフト会議、横浜商高のサウスポー山口鉄也に対する評価は低かった。この年の高校生投手の目玉は寺原隼人(オリックス)。どこからも声がかからなかった山口は渡米し、4年間マイナーリーグでプレーした。帰国後に横浜(現DeNA)と東北楽天の入団テストを受けたが、これにも落ちた。

 しかし、捨てる神あれば拾う神あり。ダメ元で受けた巨人の入団テストで、ひとりのコーチの目にとまる。当時の2軍投手コーチ小谷正勝だ。「抜き球、いわゆるチェンジアップを上手に放っていた。当時のスカウト部長だった末次(利光)さんに“枠があるなら、獲っておかれたらいいんじゃないですか”と話しました」。山口の運命の歯車がコトンと音を立てた瞬間だった。結局、本指名ではなく育成枠で入団。その後の彼の活躍は説明の必要もあるまい。

 明日はドラフト会議。角中しかり、山口しかり。指名から漏れたからと言って野球人生が終わるわけではない。人間万事塞翁が馬である。

<この原稿は12年10月24日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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