僕は反省していた。弱い自分を情けなく思いながら、叱咤していた。周囲から見ているとただ自転車に乗ってペダルを回しているだけだが、頭の中では自分をなじり、反省しきりだったのである。
 その日は、ある自転車イベントに参加していた。それはレースではなく、サイクリングイベントで、皆で決められたコースを走ろうというもの。約130?のコースに600名近い参加者が思い思いに自転車を走らせていた。僕もイベントナビゲーターとして、一緒に走りながら参加者と談笑したり、自ら少し頑張ってみたり……。

 後半は先頭集団に入り、前半よりもレベルを上げた走りをしていた時だ。その集団をコントロールする地元ライダーとして“彼”は走っていた。昨年もこのイベントで会ったのだが、なかなかの実力者である。時に集団を引っぱりながら、ペースを上げたり、落としたりと自在にコントロールしていた。イベントでは参加者が、円滑で安全な走行をできるように、こうした集団をリードするライダーを用意している。でもこれ、言うのは簡単なことだが、実際にやるとなるとかなりの走力がないとできるものではなく、体力的にも精神的にも余裕がなければこなせない役回りだ。

 “彼”の自転車はちょっと特殊で、ブレーキもギア変速機も左にしかついていない。通常は前後のブレーキが左右に分かれ、前後の制動バランスを取りながら止まったりスピード調整をしたりする。変速もフロントギアとリアギアを左右で分けてコントロールするものだ。しかし、彼のハンドルには右側に何もなく、すべては左側。どうして片手ですべてコントロールするのかというと、10年前の事故により右手の手首から先がほとんど機能しないから。わずかに残された掌と指でハンドルを抑えてはいるが、なにかを操作するというのは不可能なのだ。

 片手を使えずに、すべて左手だけで操作することを考えてみて欲しい。ましてやハンドルを握るのも左手だけ。軽く乗るだけならともかく、“彼”はそれで平坦路では時速40kmオーバー、下りや登りもこなすレースに出場しているのだ。25年以上、競技用自転車である「ロードレーサー」に乗る私でも、とても真似のできるようなものではなく、尊敬を通り越して驚異である。

 僕は、集団のなかでそんな“彼”を見ながら、自分にイラついて反省していたのである。実は翌週に大きなレースを控えていた僕は、この時点で怪我をしていた。生活に支障はない程度の怪我ではあったが、競技をやるにはかなり影響し、この時点ではまともに動くことができなかった。残り一週間、決して十分ではない治癒期間に「どう考えても、まともに走るのは無理だよな……」と、ちょっと投げやりになっていたのだ。

 そんなモヤモヤを抱えながら走っていた僕の前を、“彼”はしなやかに走り続ける。たかがちょっと怪我をして、思い通りに身体が動かないだけなのに、言い訳をして逃げようとしている自分と、比べずにはいられなかった。“彼”は片手が動かなくても、通常の人以上に自転車をこなしている。もちろん、10年前の事故当時はいろいろと悩んだはずだが、それでも今ではこの走りだ。あと数週間で治癒する怪我を憂いている自分があまりにも小さく、あまりにも情けなく感じ、反省していたわけである。

 実はこんな思いをしたのは初めてではない。サッカー指導者として有名な松本育夫さんとのことを思い出す。この方とは仕事を通して親しくさせて頂き、いろいろお話を聞かせて頂いている。サッカーの話もさることながら、1983年のガス爆発事故での話は壮絶で記憶から離れない。全身の40%以上をやけどし、足も手も大怪我を負いながら、爆発現場から這い出してくる中で、サッカーでの苦しい練習や、そのときの思いこそが支えだったそうだ。

 さらに、1週間の危篤状態の後、指4本を切断し、絶望の淵にいる松本さんにドクターが言った言葉。「この怪我は医者が治すのではない。あなたの“治りたい”という意思が大切なのです」。これは、ドクターが松本さんの性格を知っての言葉だったと思うが、素晴らしく、そして厳しい言葉だ。それを聞いた松本さんの答えはさらに凄い。「なんだ、自分が頑張ればいいだけなんだ。なんと簡単な闘病生活だ」。重傷を負い、先の見えないリハビリ生活を前に、こんなふうに考えられる心の強さには、同じ人間として驚かせられる。

「ただ、人の3倍頑張ればいいだけなのです」。松本さんのこの言葉の中にある強い志は、簡単に真似できるものではない。大怪我を負いながらサッカー指導をするのは想像を絶する苦労があっただろう。「痛い、辛い、そんなものは意思で乗り越えていく。その時に置かれた状況で全力を尽くすだけ」。シンプルだが、つい言い訳を探してしまう僕にはヒリヒリする言葉だ。

 そんな松本さんの言葉を忘れかけていた僕は、前を走る“彼”を見ながら松本さんの顔を思い出していた。そう、言い訳はいつだってできる。まずは今の状況で全力を尽くすこと。スポーツは辛い時ほど、人生の役に立つようだ。

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための新会社「株式会社アスロニア」の代表取締役に就任。この1月に石田淳氏との共著で『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)を出版。
>>白戸太朗オフィシャルサイト
>>株式会社アスロニア ホームページ
◎バックナンバーはこちらから