第1219回 「金髪」の山下泰裕が体現する「今の自分には何ができるか」
どんな言葉をおかけすればいいのだろう。悩みながら講演会場の控室のドアをノックした。
目の前の人物は上半身をベルトとハーネスで固定された姿で、電動車いすに座っていた。
驚いたのは、体の自由がきかなくなったその姿ではない。頭髪の色である。何と金髪に染められていたのだ。
私が思うに、日本人で最も金髪や茶髪の似合わない人である。髪の毛を染めた若者がそばにいたら「キミ、黒く染め直してきなさい」と、叱りつけそうな人である。それが、どうして……。
先週の金曜日、1984年ロサンゼルス五輪柔道金メダリスト山下泰裕さんの「特別教養講座」が都内で開かれ、MC役を仰せつかった。
控室で目を白黒させている私を見て、山下さんは、おもむろに切り出した。「これは妻と娘のアドバイスによるものなんです。正直言って、最初はかなり抵抗がありましたよ。昔の私なら“冗談言うな”と怒っていたかもしれない。しかし、大ケガをしてからは、家族の意見が素直に聞けるようになりました。僕の今の姿を見たら、皆さん言葉に困るでしょう。二宮さんも、そうだったでしょう。でも、この髪を見たら、プッと吹き出してしまう。それでいいんです。家族からは“髪を染めると雰囲気も明るくなるよ”と言われました。今は僕のありのままの姿を見て頂きたい。そう思っています」
山下さんが頸髄損傷という大ケガを負ったのは、3年前の2023年10月のことだ。家族と訪れた箱根の露天風呂で、立ち上がろうとして転倒し、意識を失った。「階段を一歩上がったところまでは覚えている。だが、そこから先の記憶がない」
意識が戻ったのは近くにいた人の「救急車を呼べ!」という声。真っ裸のまま担架に乗せられ、救急車で東海大病院に運び込まれた。すぐさま腸骨を骨折した首に移植する手術を受けた。文字通り「九死に一生を得た」。社会復帰までには、約2年を要した。
頭髪の色以外にも驚いたことがある。救急車で運ばれる際、山下さんの頭に浮かんだのは「あぁ、これでもうプレッシャーから解放される」という安堵の思いだったという。そこまで重圧を背負っていたとは……。
当時の山下さんはJOC会長の要職にあった。20年東京五輪はパンデミックにより1年延期となり、対応に追われた。全柔連の理事時代には、指導者による女子選手への暴力問題が発覚し、責任者として暴力の根絶に取り組んだ。
現役時代は「自分の負けは、日本柔道の負け」という覚悟で畳に上がり続けた。「僕には柔道に関するいろいろな記録があるけど、秘かに誇れるのは外国人選手に負けたことがないことです」。調べてみると116勝無敗3引き分け。日本柔道の人柱として重圧をひとりで背負い続けた。
「もう手足は動かない。鼻水も自分ではふけない。でも自分は生かされている。その意味は何か。そして今の自分には何ができるのか。それを探しています」。最強よりも最高の柔道家を――。従来からの持論を体現しているのは、他ならぬ山下泰裕その人である。
<この原稿は26年9月30日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>
