石原慎太郎と盛田昭夫が共著という体裁で出版した『「NO」と言える日本』がベストセラーになったのはもう四半世紀近く前のことだ。主に米国企業の欠点や技術立国ニッポンの優位性を論じたものだが、話は両国の国民性や文明論にまで及び、タイトルの刺激さも相まって多くの日本人が溜飲を下げた。後になって事実関係の誤りが指摘され、著書の価値は下げに転じたが、戦後の日本を貫いていた従米主義に一石を投じたことは間違いあるまい。
温厚で鳴る全柔連理事の山下泰裕が「NO」どころか、ここまで拒絶反応を示したのは珍しい。<資金力に物をいわせ、決して民主的とはいえない手法で運営し、反対する者は徹底して排除するというやり方に大きな違和感を覚えました>(『山下泰裕公式HP』より)。批判の矛先を向けた相手は国際柔道連盟(IJF)会長のマリアス・ビゼールだ。
05年9月、IJF会長選挙で山下はビゼールの対抗馬を推して勝利したが、その後、ビゼールは権謀術数の限りを尽くして07年9月に会長の座を射止める。目の上のタンコブとなったのが山下だ。時を同じくしてIJFの教育・コーチング理事選に出馬した山下はビゼールが立てたアルジェリアのモハメド・メリジャという候補に61対123というダブルスコアで再選を阻まれる。
立候補表明後、山下はビゼール側にいる友人から、次のような忠告を受けた。<これは政治なんだ。今の状況ではいくらお前でも勝ち目はない。(中略)だがもしビゼールを支持するのであれば、すぐにでも対抗馬を降ろす。よく考えてくれ>(同HPより)。山下が即座に「NO」と答えたのは言うまでもない。「もし私が彼に取り込まれたら、IJFの民主的運営は出来なくなる」と判断したからだ。
時は巡り、またしてもビゼールだ。上村春樹全柔連会長の進退が取り沙汰された先月11日の理事会の直前、東京を訪れ、「ウエムラを支持する」と発言した。商業主義の全てが悪いとは言わない。時代のニーズに合った改革は必要だ。だがビゼールの推進する改革は時としてアンチ武道的なものもあり、柔道のより一層のJUDO化には一抹の不安を覚える。ビゼールに借りをつくってしまったが最後、全柔連会長は意に沿わぬ提案にも「NO」と言えなくなるのではないか。そんな懸念が胸にくすぶる。
<この原稿は13年7月3日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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