堀秀政という武将がいる。11月に公開予定の三谷幸喜監督の映画「清州会議」では人気俳優の松山ケンイチが演じることが決まっている。地味な武将に注目が集まるのではないか。
 美濃で生まれた秀政は13歳で織田信長に仕え、やがて羽柴秀吉の家臣となる。本能寺の変で主君・信長に弓を引いた明智光秀を討った山崎の戦いや九州征伐、小田原征伐などで武功をあげ、戦国時代の名将のひとりに数えられている。
 この秀政、ただの武闘派ではなかった。統治能力に優れ、人心掌握の術にも長けていた。ある時、軍の先頭に立つ旗持ちの足元が疲れのせいでよろめいた。士気の低下を恐れた近臣が旗持ちを叱った。すると秀政、旗持ちの労をねぎらうと同時に、その旗を受け取り、自らが背負って黙々と行軍を続けたという。なるほど、部下がついてくるわけである。

 この秀政のリーダーシップとガバナンス能力を経営に取り入れたのがパナソニックの創業者・松下幸之助である。以下は幸之助の著書『指導者の条件』(PHP研究所)からの引用。<秀政の城下に、ある時、秀政の治政の悪い点を三十二、三カ条書き並べた大札を立てた者があった。そこで重臣たちが相談の上、秀政にそれを見せ、「こんなことをした者は必ず召し捕って、仕置きしましょう」といった>

 普通の殿様なら手打ちである。良くて投獄か。ところが秀政は違った。やにわに正装の支度に取りかかり、丁寧に手と口をすすぎ、「こんな諌言(かんげん)をしてくれる者はめったにいない。だからこれを天が与えたもうたものと考え、当家の家宝にしよう」と言いながら、大札を立派な箱におさめたという。そして治政を一新した。幸之助は結ぶ。<指導者はできるだけそうした諌言なり悪い情報を求め、みながそれを出しやすいような雰囲気をつくらなければいけない>

 全柔連が揺れている。危機の組織にあってトップに必要な“家臣”は、周囲の顔色ばかり窺うイエスマンではなく、時と場合によっては諌言も厭わない、もう煙たくて煙たくてしょうがないような人物だろう。なぜ直言居士のあの女性柔道家は理事に登用されないのか。幸之助はこうも書いている。<賞賛のことば、うまくいっていることについての情報であれば、それはただ聞いておくだけでいい>。肝に銘じたい。

<この原稿は13年6月26日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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