この6月に全面改装された静岡・草薙球場の正面にあるモニュメントには「澤村 ベーブ・ルース Memorial Stadium」との文字が刻まれている。今から79年前の1934年11月20日、「全日本」のエース澤村栄治は「米国大野球団」の強打者たちを切り切り舞いさせ、監督のコニー・マックをして「サワムラをアメリカに連れて帰りたい」と言わしめたことは、よく知られている。
 この試合、澤村は被安打5、奪三振9という好投を演じながら、7回裏、4番のルー・ゲーリッグに自慢のカーブをライトスタンドに運ばれ、0対1で敗戦投手になる。3番のベーブ・ルースに対しては3打数1安打1三振だった。

 不思議なのは初先発した第4戦(神宮球場)で3本ものホームランを含む12安打を浴び10失点、リリーフ登板した第6戦(富山・神通球場)でもメッタ打ちにあっている澤村が、なぜ、この試合に限って好投したのか。これには、いくつかの理由が考えられる。

 ひとつは草薙球場の立地条件。当時の球場はピッチャープレートが西の方角にあり、打者は西日が目にまぶしかったという説がある。事実、ルースは「太陽の光が目に入って、ボールがよく見えなかった」と証言している。

 これは本当なのか。地元の野球関係者の紹介で、この試合を一塁側スタンドで観戦したという95歳の老人に会った。当時、静岡中学の野球部員だった山口吉國。「そんなことはないと思います。あの試合は1時間半で終わっている。試合開始が2時だから、西日が目にしみるような時間じゃない。僕たちは何度もこの球場で試合をやっているが、西日がまぶしかったという記憶はありません」。95歳とは思えないほどしっかりした口調で、そう答えた。

 また、このチームにはモー・バーグという数カ国語を操るメジャーリーガーのスパイがおり、日米開戦前の日本をつぶさに偵察している。「次の試合地は名古屋。スムーズに移動するには試合を早く終わらせる必要があった」という説を、ある学者から聞いたことがあるが、それはまた別の機会に紹介したい。

 いずれにしても西日説は、もう一度、晩秋にこの球場を訪ねて検証したいと思っている。当時の本塁は今の球場の三塁側だ。ライトのポールがピッチャープレートの方向にあたるという。

<この原稿は13年7月17日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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