田中礼人(卓球男子日本代表フィジカルコーチ)<前編>「意識改革による変化」
「フィジカル強化の必要性」――2001年から12年ロンドンオリンピックまで卓球日本男子ナショナルチームの監督を務めていた宮義仁(現「2020ターゲットエイジ育成・強化プロジェクト(タレント発掘・育成コンソーシアム)」コーディネーター)のレポートによく出てきた言葉だ。
「世界選手権やアジア大会など、毎年国際大会を戦う中で、大会後の反省文に毎回出てくるワードが、“フィジカル強化”でした。卓球は、一瞬のパワーを何度も出さなければならない。しかし、日本人選手は俊敏性はあっても、一瞬のパワーを出し続ける体力がなかった。卓球に見合ったフィジカルを身につけなければ、世界に太刀打ちはできないと感じていたんです」
そこで、宮は協会に専属のフィジカルコーチ採用の必要性を訴えた。協会もそれに賛同し、10年4月、3カ月の研修を経て代表初の専属フィジカルコーチが誕生した。それが、田中礼人である。
田中が初めてナショナルチームの様子を目にしたのは、09年12月。翌年に控えた世界選手権の選考会のことだった。日本のトップ選手たちが集結した選考会で、田中は試合前のウォームアップからじっくりと観察した。正直、選手たちのフィジカルへの意識は意外にも低かった。ウォームアップやクールダウンのやり方も決して完璧とは言えなかったという。
「自分がやらなければいけないことは、たくさんあるな」
田中はフィジカルコーチとしの責任とやりがいを感じずにはいられなかった。
アップとダウンの重要性
田中が就任して、まずはじめに着手したのは、意識改革だった。ウォームアップやクールダウン、フィジカルトレーニングの重要性をひとつひとつ丁寧に説明しながら、やり方を伝えた。
「気を付けたのは、専門用語を使いすぎないこと。できるだけ噛み砕いて、わかりやすい言葉で伝えようと思いました。とにかく大事なのは、選手たちが納得すること。なぜ必要なのかを理解してやるのと、理解せずにやるのとでは、成果はまったく違うんです。だから“言って、見せて、やらせて”というのを繰り返しました」
同時期に専任コーチに就任したのが、現在監督を務める倉嶋洋介だ。倉嶋は、田中についてこう語っている。
「トレーナーと言えば、厳しいイメージを抱いていたのですが、彼はとても穏やかで明るい。初めて会った時は、イメージとのギャップに驚きました(笑)。でも、いざトレーニングのこととなると、やっぱり厳しいですね。弱音を吐く選手に対しても、最後まで付き合って、やらせようとしますから。でも、ただやらせるのではなく、繰り返し重要性や効果を説明するんです。だから、選手たちも納得してやれるんだと思いますよ」
まず成果があらわれたのは、ウォームアップとクールダウンだ。1カ月もすると、選手たちから「するのとしないのとでは、全然違う」という声が聞かれるようになったのだ。ウォームアップは、練習に入った時の身体の動きを変えた。
「ウォームアップをしないまま練習に入ってしまうと、ケガの原因やパフォーマンスの低下につながります。そうならないために、ウォームアップで徐々に筋温や心拍数、関節可動域を高めていき、身体に“これから動きますよ”というシグナルを出しておく。そうすると、スムーズに身体を動かすことができるんです」
一方、練習や試合の後にクールダウンするかしないかでは、翌日以降の疲労の度合いが異なる。
「激しい運動をすると疲労物質が体内に蓄積されます。その状態のまま放っておくと疲労物質が分解されにくく、翌日に影響を及ぼす。だからクールダウンをすることによって、筋肉を元の状態に戻し、疲労物質をエネルギーに替えておくことが必要なんです。最近では激しく動いた後に有酸素運動を10〜15分すると、疲労物質がエネルギーに替わる、とも言われているんです。疲労回復のポイントは軽い有酸素運動とストレッチング、そして食事や睡眠です。」
コーチ先導から選手主動へ
さらに選手たちの様子に変化が出てきたのは、意識改革を始めて半年ほど経った頃だ。卓球は1年中、国内外の大会が続く。そのため、オフシーズンは皆無と言ってもいいくらいのハードスケジュールだ。現在、男子日本代表では1年を通して代表合宿を行なっている。選手は1、2カ月に一度、約2週間のワールドツアーに参戦し、帰国後は合宿に参加する、という1年を過ごす。そんな多忙の中で結果を残さなければならない。体力が不可欠であることは言を俟たない。
大会が始まれば、朝は早く、試合が終わるのも遅い時には日をまたぐこともある。その中で試合で力を発揮するための準備と、翌日に疲労を残さないケアは何よりも重要だ。当初は帯同した田中が選手たちに指示をして回った。だが、半年も経つと、選手主動で行なわれるようになったという。
なかでもフィジカル面に強い関心を抱いたのは、松平健太だった。彼は現在シングルスのITTF(国際卓球連盟)世界ランキングは17位。昨年フランス・パリで行なわれた世界選手権のシングルスでは、元世界ランキング1位の2人を破り、ベスト8に進出した。現在、次世代のエースとして期待されているひとりだ。
「健太は他の選手に先駆けて、よく自分から僕のところに来て『ウォームアップを見てもらえますか?』と言ってきたり、試合時間が空くと、『次の試合までのリウォームアップは何をやったらいいですか?』などと、積極的に聞いてくる選手でしたね」
松平健の意識改革は、ウォームアップやクールダウン、そしてトレーニングに限ったことではない。食事についても、田中のアドバイスを忠実に実行しているという。
「初めて会った頃は、本当に身体が細くて、食も細かった。大会期間中も、簡単に済ませることが少なくなかったんです。それで『身体を大きくしたいのなら、トレーニングも大事だけど、食事をもっと摂らなくちゃいけないよ』と言ったんです。それからは、きちんと栄養のバランスを考えて、しっかりと食べるようになりましたね」
今では合宿中、トレーに入りきらないほどの量を自分で取ってきて、食べている松平健の姿をよく見かけるようになったという。それが、ジュニア世代のいいお手本にもなっている、と田中は評価している。
ウォームアップやクールダウンと並んで、田中が選手たちに課したのはトレーニングの充実だ。選手は技術面ばかりに意識がいきがちだが、それはフィジカルがあってこそのものである。そのことを田中は、この4年間で選手たちに説き、トレーニングを指導してきた。その成果は、世界ランキングにはっきりと表れている。
宮前監督はこう語る。
「私が監督に就任した頃、世界ランキング50位以内に日本人選手は1人か2人しかいなかった。100位以内にも3人くらいでしたよ。ところが、今は30位以内に5人。50位以内には10人もいるんです」
なかでも田中がフィジカルコーチ就任後、最も大きな変化を遂げたのが、松平健と塩野真人の2人だ。若手有望株と28歳のベテランにどんな変化があったのか――。
(後編につづく)
<田中礼人(たなか・あやと)>
1983年12月18日、埼玉県生まれ。小学1年から野球を始め、甲子園を目指して埼玉栄高に進学。2年春にはセンバツに出場し、練習要員として甲子園の土を踏んだ。高校在学中にスポーツトレーナーの道を考え始める。専門学校を経て、仙台大学に進学し、トレーニングの知識や技術を学ぶ。大学卒業後、森永製菓株式会社(ウイダートレーニングラボ)に入社。2010年4月より卓球男子日本代表の専属フィジカルコーチ(ストレングス&コンディショニングコーチ)を務める。12年3月に森永製菓を退職し、独立。現在は日本卓球協会と個人契約を結んでいる。ストレングス&コンディショニングスペシャリスト(CSCS)、パーソナルトレーナー(NSCA-CPT)、NSCAジャパン認定検定員、南関東アシスタント地域ディレクターの資格をもつ。
NSCAジャパンHP
(文・写真/斎藤寿子)
「世界選手権やアジア大会など、毎年国際大会を戦う中で、大会後の反省文に毎回出てくるワードが、“フィジカル強化”でした。卓球は、一瞬のパワーを何度も出さなければならない。しかし、日本人選手は俊敏性はあっても、一瞬のパワーを出し続ける体力がなかった。卓球に見合ったフィジカルを身につけなければ、世界に太刀打ちはできないと感じていたんです」
そこで、宮は協会に専属のフィジカルコーチ採用の必要性を訴えた。協会もそれに賛同し、10年4月、3カ月の研修を経て代表初の専属フィジカルコーチが誕生した。それが、田中礼人である。
田中が初めてナショナルチームの様子を目にしたのは、09年12月。翌年に控えた世界選手権の選考会のことだった。日本のトップ選手たちが集結した選考会で、田中は試合前のウォームアップからじっくりと観察した。正直、選手たちのフィジカルへの意識は意外にも低かった。ウォームアップやクールダウンのやり方も決して完璧とは言えなかったという。
「自分がやらなければいけないことは、たくさんあるな」
田中はフィジカルコーチとしの責任とやりがいを感じずにはいられなかった。
アップとダウンの重要性
田中が就任して、まずはじめに着手したのは、意識改革だった。ウォームアップやクールダウン、フィジカルトレーニングの重要性をひとつひとつ丁寧に説明しながら、やり方を伝えた。
「気を付けたのは、専門用語を使いすぎないこと。できるだけ噛み砕いて、わかりやすい言葉で伝えようと思いました。とにかく大事なのは、選手たちが納得すること。なぜ必要なのかを理解してやるのと、理解せずにやるのとでは、成果はまったく違うんです。だから“言って、見せて、やらせて”というのを繰り返しました」
同時期に専任コーチに就任したのが、現在監督を務める倉嶋洋介だ。倉嶋は、田中についてこう語っている。
「トレーナーと言えば、厳しいイメージを抱いていたのですが、彼はとても穏やかで明るい。初めて会った時は、イメージとのギャップに驚きました(笑)。でも、いざトレーニングのこととなると、やっぱり厳しいですね。弱音を吐く選手に対しても、最後まで付き合って、やらせようとしますから。でも、ただやらせるのではなく、繰り返し重要性や効果を説明するんです。だから、選手たちも納得してやれるんだと思いますよ」
まず成果があらわれたのは、ウォームアップとクールダウンだ。1カ月もすると、選手たちから「するのとしないのとでは、全然違う」という声が聞かれるようになったのだ。ウォームアップは、練習に入った時の身体の動きを変えた。
「ウォームアップをしないまま練習に入ってしまうと、ケガの原因やパフォーマンスの低下につながります。そうならないために、ウォームアップで徐々に筋温や心拍数、関節可動域を高めていき、身体に“これから動きますよ”というシグナルを出しておく。そうすると、スムーズに身体を動かすことができるんです」
一方、練習や試合の後にクールダウンするかしないかでは、翌日以降の疲労の度合いが異なる。
「激しい運動をすると疲労物質が体内に蓄積されます。その状態のまま放っておくと疲労物質が分解されにくく、翌日に影響を及ぼす。だからクールダウンをすることによって、筋肉を元の状態に戻し、疲労物質をエネルギーに替えておくことが必要なんです。最近では激しく動いた後に有酸素運動を10〜15分すると、疲労物質がエネルギーに替わる、とも言われているんです。疲労回復のポイントは軽い有酸素運動とストレッチング、そして食事や睡眠です。」
コーチ先導から選手主動へ
さらに選手たちの様子に変化が出てきたのは、意識改革を始めて半年ほど経った頃だ。卓球は1年中、国内外の大会が続く。そのため、オフシーズンは皆無と言ってもいいくらいのハードスケジュールだ。現在、男子日本代表では1年を通して代表合宿を行なっている。選手は1、2カ月に一度、約2週間のワールドツアーに参戦し、帰国後は合宿に参加する、という1年を過ごす。そんな多忙の中で結果を残さなければならない。体力が不可欠であることは言を俟たない。
大会が始まれば、朝は早く、試合が終わるのも遅い時には日をまたぐこともある。その中で試合で力を発揮するための準備と、翌日に疲労を残さないケアは何よりも重要だ。当初は帯同した田中が選手たちに指示をして回った。だが、半年も経つと、選手主動で行なわれるようになったという。
なかでもフィジカル面に強い関心を抱いたのは、松平健太だった。彼は現在シングルスのITTF(国際卓球連盟)世界ランキングは17位。昨年フランス・パリで行なわれた世界選手権のシングルスでは、元世界ランキング1位の2人を破り、ベスト8に進出した。現在、次世代のエースとして期待されているひとりだ。
「健太は他の選手に先駆けて、よく自分から僕のところに来て『ウォームアップを見てもらえますか?』と言ってきたり、試合時間が空くと、『次の試合までのリウォームアップは何をやったらいいですか?』などと、積極的に聞いてくる選手でしたね」
松平健の意識改革は、ウォームアップやクールダウン、そしてトレーニングに限ったことではない。食事についても、田中のアドバイスを忠実に実行しているという。
「初めて会った頃は、本当に身体が細くて、食も細かった。大会期間中も、簡単に済ませることが少なくなかったんです。それで『身体を大きくしたいのなら、トレーニングも大事だけど、食事をもっと摂らなくちゃいけないよ』と言ったんです。それからは、きちんと栄養のバランスを考えて、しっかりと食べるようになりましたね」
今では合宿中、トレーに入りきらないほどの量を自分で取ってきて、食べている松平健の姿をよく見かけるようになったという。それが、ジュニア世代のいいお手本にもなっている、と田中は評価している。
ウォームアップやクールダウンと並んで、田中が選手たちに課したのはトレーニングの充実だ。選手は技術面ばかりに意識がいきがちだが、それはフィジカルがあってこそのものである。そのことを田中は、この4年間で選手たちに説き、トレーニングを指導してきた。その成果は、世界ランキングにはっきりと表れている。
宮前監督はこう語る。
「私が監督に就任した頃、世界ランキング50位以内に日本人選手は1人か2人しかいなかった。100位以内にも3人くらいでしたよ。ところが、今は30位以内に5人。50位以内には10人もいるんです」
なかでも田中がフィジカルコーチ就任後、最も大きな変化を遂げたのが、松平健と塩野真人の2人だ。若手有望株と28歳のベテランにどんな変化があったのか――。
(後編につづく)
<田中礼人(たなか・あやと)>
1983年12月18日、埼玉県生まれ。小学1年から野球を始め、甲子園を目指して埼玉栄高に進学。2年春にはセンバツに出場し、練習要員として甲子園の土を踏んだ。高校在学中にスポーツトレーナーの道を考え始める。専門学校を経て、仙台大学に進学し、トレーニングの知識や技術を学ぶ。大学卒業後、森永製菓株式会社(ウイダートレーニングラボ)に入社。2010年4月より卓球男子日本代表の専属フィジカルコーチ(ストレングス&コンディショニングコーチ)を務める。12年3月に森永製菓を退職し、独立。現在は日本卓球協会と個人契約を結んでいる。ストレングス&コンディショニングスペシャリスト(CSCS)、パーソナルトレーナー(NSCA-CPT)、NSCAジャパン認定検定員、南関東アシスタント地域ディレクターの資格をもつ。
NSCAジャパンHP
(文・写真/斎藤寿子)