街角から五輪へ 早川英里

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 現在開催中のアジア競技大会(韓国・仁川)で、女子マラソンは10月2日に行われる。日本からは木崎良子(ダイハツ)と早川英里(TOTO)が出場予定だ。早川は32歳で初代表。今年になって自己ベストをマークするなど、遅咲きながら更なる成長が期待できるランナーだ。今年の名古屋ウィメンズマラソンで木崎に次ぐ4位に入り、日本人2位で代表権を獲得した。4月に新設されたマラソンナショナルチームにも選出され、2年後のリオデジャネイロ五輪代表も視野に入ってきている。学生時代は無名のランナーだった彼女がここまで走り続けている意義を、2005年の原稿で触れてみよう。
<この原稿は2005年12月5日号の『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 42.195キロ。マラソンは長い道中、何が起こるかわからないというが、これは全く予想外の出来事だった。

 10月9日、シカゴマラソン。市民ランナー早川英里は2時間25分台のタイムを狙っていた。出足は快調だった。冷涼な気候も早川の足取りを軽くさせた。

 ところが、である。10キロ以降の給水ポイントでハプニングに見舞われる。スペシャル・ドリンクの蓋が硬くなかなか中身が出てこないのだ。今回の容器はこれまで使っていたボトル本体を押すタイプではなく、先端部分を引くタイプだった。勝手が違っていたため、早川は容器を潰してしまった。

 それでも、この時点では「大丈夫だろう」と、まだ落ち着いていた。気温12度と涼しいため汗も出ない。ハーフまでのタイムは予定どおり1時間12分。早川は後半に強く、目標に定めた25分台は難なくクリアできるように思われた。

 早川はスペシャル・ドリンクだけではなく水も口にしなかった。このまま最後まで走り通そうと考えていた。ほとんど汗をかいていなかったからだ。
 体の異常に気がついたのは30キロを過ぎたあたりだ。走っているつもりなのに、なぜか体が前に進まないのだ。
「あれ、おかしいな。やっぱり(水分を)摂らないと危ないのかな……」

 時既に遅しだった。35キロを過ぎると全く体に力が入らなくなった。マラソンランナーになって初めての体験だった。
「目の前が真っ暗というほどではないのですが、体の感覚が怪しくなってきて、全然体に力が入らないんです。38キロから39キロにかけては、ゴールまでたどり着けるかどうかも不安でした。40キロの手前では“血の気が引く”という感覚にも襲われました」

 ヨレヨレになってフィニッシュした。40キロからの残り2.195キロは通常7分30秒くらいで走り抜けるところを約11分かかった。
 フィニッシュタイムは2時間28分50秒の5位。優勝したディーナ・カスターに7分以上も引き離された。

 コーチの中島進は言う。
「これは結果論なんですが、水分を補給しなかったことで脱水症状を起こしてしまった。それが血管に収縮を起こし、脳に酸素が回らなくなってしまった。
 実はこの春、ボストンマラソンに出る予定だったのですが選手村に入ってから高熱を出し、結局スタートラインに立てなかった。そんなことがあったものだから、私の頭の中にはとにかくスタートラインに立たせようという思いしかなく、給水のことまで頭が回らなかった。
 走り出せば彼女は後半に強いので大丈夫だろうと。そこに落とし穴があったのかもしれません」

 早川が都内・神保町にある「ハイテクスポーツ塾」の門を叩いたのは大学3年の時だ。
「800m、1500mのタイムを残したいと思ったんです。低酸素ルームもあるし、いいかなって……」
 どこにでもいる平凡なランナーだった。5000mのタイムは18分30秒。大学卒業後は会計士になろうと考えていた。

 早川を最初に見たときの中島の印象はこうだ。
「体型がケニア人系なんです。背は低いんですが足は長い。足首も細い。長距離ランナーは足首が細い方が絶対に有利なんです。太いと重くなる。余計にエネルギーを使う。馬だってダチョウだって足の速い動物は皆、余計な筋肉がない」

 中島は市民ランナーながら91年の東京国際マラソンを制した谷川真理を育てたことでも知られている。谷川と比較した場合、素質はどうなのか。
「早川の方が数段上ですよね。谷川が24歳で走り始めたのに対し、早川はまだ23歳。これからもっと強くなれると思います」

 ハイテク塾には「Kandokun」「Marino」といったトレーニングマシンが設置してある。東大の小林寛道教授の理論と情熱が具現化したのがこれらのマシンだ。ランニングフォームの基礎をつくり、悪いクセは矯正した。
「神保町の街角からオリンピック選手を!」
 それが、小林教授の夢でもあるそうだ。

 中島は言う。
「昔、小林教授が瀬古(利彦)さんや宗(茂、猛)さんたちに科学の重要性を説いても“マラソンは頭で走れるか。足で走るんだ”と言われたというんです。しかし最近はどの実業団も科学的なトレーニングを取り入れている。早川はウチに来て1年後には5000mのタイムが18分半から16分半に短縮された。科学的なトレーニングの賜物だと思っています」

 初マラソンは2002年12月のホノルルマラソン。早川は2時間32分42秒の好タイムでいきなり4位入賞を果たし、5千ドルの賞金まで得た。アルバイトの経験のない彼女にとって初めて自らが稼いだ報酬だった。
「趣味のひとつとして走ったのにおカネがもらえた。賞金の一部で小さなブランドのバッグを買いました。確か200ドルくらい。とりあえず残りは家に持って帰りました。走ってお金をもらえるなんて家族もびっくりしていました」
 そう言って小リスのように微笑んだ。

 目標はもちろんオリンピック出場だが、そこにのみ走る意義を求めているわけではない。
「目標は谷川真理さん。一線を退いた今も、ずっと現役で走り続けていらっしゃいます。私もオリンピックだけで終わるんじゃなく、生涯ずっと走り続けていたいんです」

 身長153センチ、体重40キロ。小柄だがテレビに映る姿は大きく見える。伸びる選手、成長する選手は例外なく実物より大きく見えるものだ。
「昨日よりも今日、今日よりも明日。毎日、一歩だけでも前進したい。そのことを常に考えています」

 神保町の街角からオリンピック選手は誕生するのか。科学は経験に勝てるのか。42.195キロの先にまだ見ぬ光がある。
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