Jリーグ草創期、カズこと三浦知良がゴールを決めた際に踊る“カズダンス”はピッチの華だった。
 若かりし頃、まさか48歳になってもカズダンスを踊っていようとは、カズ自身、想像もしていなかっただろう。


 さる5日のジュビロ磐田戦、J2横浜FCのFWカズは右サイドからのクロスに頭で合わせ、今季初ゴールを決めた。これによりカズは自身の持つリーグ最年長ゴール記録を48歳1カ月10日に更新した。この“偉業”は中国やイタリア、英国など世界中で報じられた。

 試合後、久々に踊ったカズダンスの印象について聞かれたカズは、笑みを浮かべてこう答えた。
「子供から大人までリクエストが多いんでね。決めたらやろうと思っていた」

 W杯出場こそまだ果たしていないが、日本代表の価値を高めたのも、また彼である。1998年フランスW杯を戦う代表メンバーから漏れた際には「魂は置いてきた」との名ゼリフを残した。

 私がカズに初めてインタビューしたのは、彼がまだ18歳の時である。“キング”ペレの出身クラブである名門サントスFCとの契約が話題になっていた頃だ。
 当時の日本社会は、前年(85年)のプラザ合意により、バブルの足音が近付いていた。4月には男女雇用機会均等法が施行、5月にはチャールズ英皇太子とダイアナ妃が来日。サッカーに目を移すと、6月にはアルゼンチンが西ドイツを破ってメキシコW杯を制している。

 カズは高校サッカーのゲスト解説に呼ばれ、一時帰国していた。インタビューは実家の静岡に行く新幹線の中で行った。

 第一印象は「こんなしっかりした18歳がいるのか!?」である。JSL(日本サッカーリーグ)の改革に話が及ぶと、カズの舌は、さらになめらかになった。

「これは個人的な意見ですが、22試合制のリーグ戦が終わった後、上位6チーム、下位6チームでリーグ戦をやればいい。試合数が増えれば若手にもチャンスが増える。今の試合数では実戦の中で経験を積んでいくことができない。僕は(ブラジルで)2カ月半で12試合やった経験があります」

 Jリーグが開幕するのは、それから7年後のことだ。

 ヴェルディ川崎の優勝に貢献し、Jリーグの初代MVPに選ばれたカズは、暮れのJリーグアウォーズのステージにひとり真っ赤なスーツ姿で現れた。受賞者は全員、黒の正装で出席するドレスコードが設けられていたが、カズひとり例外が認められた。

 苦笑を浮かべながら川淵三郎チェアマン(当時)は言ったものだ。
「カズは何を着ても貧乏くさくないからいいよ」

 カズの歴史は、Jリーグの歩みと重なる。日本サッカーのレジェンドとして、彼を超える存在は、もう現われないかもしれない。

 昨季のプレー時間は、わずか4分。それが今季は4月17日現在、7試合中5試合にスタメン出場するなど、復調の兆しを見せている。限界説は自らの足で振り払うしかない。

<この原稿は『サンデー毎日』2015年5月3日号に掲載されたものです>


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