「あれ? なんか肩に違和感が……」
 昨年の11月から腕を挙げると肩に変な痛みを感じるようになった。プロレスの試合には出ていないので、怪我するはずなどないが、なぜか痛いのだ。

「おかしいな……痛めるようなことなんて何もやっていないのに……」
 高重量でのベンチプレスを行なうと、このような症状に見舞われることはあったが、しばらくそんな重いものでやった記憶はない。

「まあ、でも、しばらくすれば治るだろう」
 その時はあまり深く考えずにいたが、痛みは治るどころか、どんどん激しくなってきた。さすがに我慢ができなくなり、僕は整骨院へと足を運んだのだった。

「垣原さん、これ、四十肩ですね」
 先生の言葉を聞いて、僕は大きなショックを受けた。四十肩は、体を動かさない中高年がなるものと思っていたからだ。まさか自分が四十肩になるなんて夢にも思わなかった。

「先生、それ、間違いではないですか?」と聞き返したが、何種類もの動きでテストを行なったので疑う余地はないと言う。ジムのトレーナーも行なっているだけに四十肩になったなんて洒落にならない。早く治さなければ恥ずかしいと考えていると、先生はこう続けた。

「完治するには、個人差がありますが、長い人だと2年もかかりますよ」
 僕は絶句してしまった。正直、四十肩がこんなに厄介なものだとは思いもよらなかった。

「これは困った! 腕が上がらないとミヤマ☆仮面のクワガタポーズもできない」
 実際にやってみると肩に激痛が走った。ミヤマ☆仮面の象徴であるクワガタポーズができないとなるとこれは一大事である。

 引退して以降、僕は治療院のお世話になっていなかったが、流石にあちこちに足を運び、治療に努めたのだった。
「東洋医学の不思議な治療ですが、ものすごく効きますよ」
 知人の紹介で、生まれて初めての気孔治療までも受けてみた。それほど治すためには必死だったのである。

 ミヤマ☆仮面の昆虫イベントは、基本的に夏がメイン。だが、今年は2月に幕張メッセにて、ビッグイベントが入っていた。そのため、治療だけに専念し、トレーニングを休むというわけにもいかなかった。

 ミヤマ☆仮面は、筋肉が売りでもあるから、それを落とさないよう痛い肩をごまかしながらトレーニングを続けた。肩が痛いと腕立て伏せをはじめ、押す動作が痛くて全くできないが、デッドリフトやベントオーバーロウイングなど引く動作のエクササイズなら、辛うじて行えた。
「何とか筋肉は維持しているけど、あの体操は果たしてできるだろうか」
 
 イベント中、僕は昆虫体操という昆虫の動きを真似した体操をやる。その中でナナフシのポーズというものがあり、ヨガのポーズのように手を合わせて頭上にピーンと伸ばさなくてはならない。これが四十肩には拷問なのである。

 実際にトライしてみると、悪い方の右腕は酷く曲がっていて不恰好であった。
「これは参った。何か対策を練らないとマズイ・・・」
 3カ月が過ぎても痛みが治まらないケガなど現役中ですら経験がなかっただけに、さすがに焦り始めた。

「まるで出口の見えないトンネルに入っているみたいだ」
 結局2月のイベントでは、ちびミヤマ仮面を使ってナナフシのポーズは逃れたものの、夏になればそうはいかない。

 僕は、トレーニングのスペシャリストである日本一のボディビルダー鈴木雅選手の下を訪ねた。
「恥ずかしい話、四十肩になってしまいました・・・」
 僕は、照れながら小声で彼にカミングアウトした。

「垣原さんの場合は、首が原因で、四十肩になったのだと思いますよ」
 鈴木選手によると首が悪い人は、四十肩になるケースが多いという。

「(肩の)インナーマッスルのローテータカフをしっかり鍛えるのと、肩甲骨周りの柔軟が大切です」
首のケアも含め、言われたことを地道に続けるよう心がけてみた。

 6月になり、発症から8カ月が過ぎた頃、ようやく痛みのピークが通り過ぎてくれた。それにしても随分と時間がかかったものだ。
何とか痛みは和らいでくれたので、7月のイベントでは、全力でクワガタポーズを行えた。ただ、この調子では反対側の左肩も心配だ。今のうちから予防が必要である。

 単純だが、僕はしっかりと手を挙げるという動作を1日の中で、何度か取り入れるようにした。筋トレをしていてもまっすぐ頭上に向けて腕を伸ばすことは、意外に少ないことに気付いたからだ。

 四十肩予防だけを考えれば、トレーニングよりも、むしろラジオ体操を毎日続ける方が良いという。子供の頃、夏休みに毎朝やっていた、あの定番のラジオ体操が良いなんて灯台下暗しである。

 お金をかけず、健康になれることは、もっともっと身近にあるのかもしれない。この夏は早起きをして、ラジオ体操を真剣にやってみよう。

(毎月10、25日に更新します)
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