異様なムードに包まれていた。
“不可解なPK”でシリアに同点に追いつかれ、完全アウェー状態のスタジアムはシリアへの声援でボルテージが最高潮に達していた。
 10人の日本代表。しかし、彼らは落ち着いていた。途中出場の岡崎慎司がペナルティーボックスで仕掛けたところに相手の足が引っかかってPKを得る。
 キッカーには本田圭佑が名乗りを挙げた。通常なら遠藤保仁なのだが「圭佑が蹴りたそうだったので」と譲ったという。本田はど真ん中に蹴り、ボールはサイドに飛んだ相手GKの足をかすめるようにゴールに吸い込まれた。このPKが決勝点となり、伏兵のシリアを何とか振り切って、勝ち点3を得たのだった。

 マンオブザマッチには本田が選ばれた。決勝PKを決めただけでなく、この日の本田のパフォーマンスは南アフリカW杯を彷彿させるものだった。初戦のヨルダン戦こそ個人プレーに走ったように見えたが、シリア戦では相手のボランチをマークしながらも攻撃では球離れを早くして周囲との連係に心血を注いでいた。
 長谷部誠の先制点も、本田が演出したものだ。内田篤人のロングパスに対して右サイドに流れ、そこから仕掛けて香川真司を視界に入れるとマイナスにパスを入れた。香川のシュートから、こぼれ球を松井大輔がつなげて長谷部がゴールに流し込んでいる。喜ぶ長谷部を背後から真っ先に抱きついたのが本田だった。

 本田と言えば、孤高のイメージが付きまとう。しかし、実際はそうではない。チームのことを真っ先に考えるタイプだと私は思っている。
 2列目の選手が流動的にポジションチェンジを繰り返せなかったヨルダン戦の翌日、本田は練習後に香川をわざわざ呼び寄せたうえで、連係について話し合っている。
「(ヨルダン戦は)真司との距離が遠かったように感じている。お互いのいいところを出していければいい。俺が一番絡める選手ということもあるし、俺のプレーにも直接つながってくるんで」
 話し合いの効果は十分にあった。シリア戦では中央の本田がサイドに流れて香川が中に入ってくるパターンも増え、2人が接近しながら連係してチャンスをつくろうとしていたからだ。
 本田は試合後、テレビのインタビューに答えただけで、無言でミックスゾーンを過ぎ去った。だが、その表情は明るく、勝利に対してある程度は納得しているように見てとれた。

 実はシリア戦の前日に選手だけでミーティングを行なっていた。
 南アフリカW杯の前、事前合宿地のスイス・ザースフェーでチームキャプテンの川口能活が選手全員を集めて意見をぶつけ合ったように、今回も選手たちが今のムードに危機感を覚えて動いたものだった。
 ミーティングを呼びかけた一人が、本田であった。彼は「アジアの戦いは、そう甘くない。甘かったらサッカーは面白くない」と語っていた。楽観的な雰囲気をチームに感じたのか、敢えてピリピリした雰囲気を醸し出していた。本田はキャプテンの長谷部たちと話し合ったうえで、選手ミーティングを行なった。そこでは「日本代表の誇りを持って戦おう」と気持ちの確認をしたという。そのミーティングの効果なのか、チームは一体となっていた。

 後半27分、シリアのオフサイドと認定されず、川島が一発退場した場面では、ベンチにいた岩政大樹や森脇良太まで抗議に加わっていた。この行為にピッチにいた選手たちの気持ちに火がつき、あのPKにつながったのだった。そしてチーム全員の気持ちをくんだうえで、本田はボールを持ってPKに向かったのだった。
 ストレートな思い。
 コースを狙わず、真っ直ぐ打ったのは強い気持ちの表れだったに違いない。
 チームを束ねた本田圭佑の献身。新しい日本代表の中心という自覚を持つ本田は、実に頼もしい存在になった。

(このレポートは不定期で更新します)

二宮寿朗(にのみや・としお)
 1972年愛媛県生まれ。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、サッカーでは日本代表の試合を数多く取材。06年に退社し「スポーツグラフィック・ナンバー」編集部を経て独立。携帯サイト『二宮清純.com』にて「日本代表特捜レポート」を好評連載中。