手にしたアジアカップを夜空に向かって高々と掲げたのはキャプテンの長谷部誠だった。その瞬間、紙吹雪が舞い、選手たちの勝利の雄叫びがカリファスタジアムをこだました。
 決勝は難敵オーストラリアとの死闘。前半は右サイドバック、ルーク・ウィルクシャーからのロングボールの対処に苦しみ、セカンドボールを拾われてシュートまで持ち込まれる場面が目立った。その前半、最終ラインとともに守備に奔走したのが長谷部。後半に入ってから攻撃に出ていくようになると、日本にチャンスをもたらした。23分、ドリブルから長友佑都にパスを送って岡崎慎司のシュートにつなげると、37分には本田圭佑への縦パスから裏にボールが出て流れるような攻撃を演出した。120分間にわたって味方を鼓舞し、途中出場の李忠成が延長後半に奪った1点を守り切った。
「日替わりでヒーローが出たのはよかった。試合に出られなかった選手たちが結果を残してくれた。オーストラリアのサッカーは放り込んで、ヘディングを使ってセカンド(ボール)を拾おうという効率的なサッカー。(日本は)決していいサッカーではなかったけれど、(李が)あそこで良く決めてくれた」

 日本は2004年の中国大会以来、2大会ぶりに優勝を果たした。調整の遅れから苦しいスタートを強いられ、初戦のヨルダン戦は終盤に何とか同点に追いついたという内容。そこから徐々によくなっていき、結果的には韓国、オーストラリアというライバルまで蹴散らした。優勝した要因は、何と言ってもチームの結束力にある。アルベルト・ザッケローニ監督から信頼を受け、チームを束ねた長谷部こそが陰のMVPだったと個人的には感じている。
 ヨルダン戦が終わった後、チームの雰囲気に危機感を覚えた長谷部は第2戦のシリア戦前に選手を呼び集めて、選手ミーティングを開いた。わずか15分という短いミーティングではあったが、長谷部は「日本代表の誇りを持って戦おう」と熱く呼びかけた。食事会場では若手選手のなかに率先して入っていき、メンバー一人ひとりに声をかけた。

 シリア戦で豪快なミドルシュートを突き刺した長谷部は迷うことなく、控えメンバーがアップしている場所へと向かった。チーム全員と喜びを分かちあったのだ。このシリア戦を境にして、チームは結束へと向かった。長谷部の貢献なくして、この優勝はあり得なかった。
「最初、若い選手はお客さん感覚のところがあって、自分たちが戦うのかという心構えが正直、最初の頃はなかったように感じていました。それを(年齢の)上の選手が言うことによって、意識を変えていった」
 ただ、長谷部自身、まだまだチームの意識に満足していない点もあった。オーストラリア戦前日にはこう言っていた。
「正直言うと、先発以外のメンバーの押し上げをもうちょっと感じたい。もっともっと押し上げてほしいというか……」

 長谷部は世界レベルを意識したうえで、シュートぐらい勢いのあるパスを前線に出していた。そのパスには、アジアで満足してはいけない、というメッセージがこめられているようだった。
 ザッケローニ監督も長谷部に対して絶大な信頼を寄せていた。「彼がリーダーシップを発揮してくれた」と大会後、手放しで称えている。
 優勝の喜びをひとしきり味わった後、長谷部は厳しい表情を取り戻した。
「フィジカル的には(オーストラリア相手に)競り負けているし、もっとレベルアップしないといけない。アジアカップで勝ったからといって、世界で勝てるかは分からない。そういったことは考えていかないと、と思いますけど」
 現状に満足しない長谷部のマインドが日本をさらに強くする。彼のキャプテンシーがある限り、若き日本代表が成長を止めることはないだろう。

(おわり)

二宮寿朗(にのみや・としお)
 1972年愛媛県生まれ。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、サッカーでは日本代表の試合を数多く取材。06年に退社し「スポーツグラフィック・ナンバー」編集部を経て独立。携帯サイト『二宮清純.com』にて「日本代表特捜レポート」を好評連載中。