21日のドラフト会議を振り返りたいと思います。率直な感想を言えば、指名される人数が少なかった。いくつものチームが数多くの既存選手をプロテクトしましたからね。


 ただ、ドラフト会議で選手を獲らなかったからといって、そのチームがいい補強ができなかったというわけではありませんよ。今季の高松の岡田のように、既存の日本人選手やチームトライアウトで入ってきた選手が一皮向けて大活躍する可能性だってあるんですからね。

 例えば、新潟の池田。今季、彼は先発で出るくらいの勢いがあったけれど、シーズン序盤で疲労骨折をして、出場機会を失ってしまった。でも、彼が来季の開幕までに体をしっかりつくって仕上げてきたら、新潟の戦力はかなりアップすると思っています。

 それに、僕の中学、高校の後輩で法政大学出身の末廣は要注目の選手です。彼はシューターでありながら、190センチの長身でリバウンドもとれる。今はケガをしているから、ドラフト会議では指名されませんでしたが、その後、福岡と契約合意に至ったようですね。

 スーパーリーグの三菱電機にいた日本大学出身のシューター蒲谷もいい。彼は、大学や実業団で活躍した経験があるからね。ドラフトでは指名されなかったけど、彼もどこのチームが獲得してもおかしくない。あと、すぐに名前は浮かばないですけど、個人的には4、5人は可能性がある選手がいますよ。ドラフトの裏にはそういう優れた選手がいるんです。

 これから、チームトライアウトなどで、どういう選手が獲得されるのかが本当に楽しみでわくわくしますよ。ドラフトという華やかな舞台で指名を受けた7人の選手、そこで指名されずハングリー精神を持ってチームトライアウトから這い上がってくる選手。そのどちらが来季のリーグ戦で活躍しているかは予想もつきません。

 沖縄の澤岻(たくし)を初め、ドラフトで上位指名された選手が活躍できない可能性も十分にありますよ。逆に、指名されなかった選手はプロになるため、死に物狂いで頑張る。何が起きても不思議はないですよ。

プロテクトが決まった時点で来季は始まっている

 今回のドラフト会議を球団経営という観点でみると、指名人数が少なくなった理由がよく理解できます。過去2シーズンを通して、それぞれのチームのヘッドコーチ(HC)やGMは、ドラフトで獲得する新人選手に支払うA契約の最低年俸300万円についてシビアに考えるようになったと思うんです。

 はっきり言えば、今回のドラフトでは「新人選手に300万円以上払う価値があるのか」と考えたんじゃないかな。僕はその点が大きいと思う。1巡目で指名された3人の選手は実績がある。彼らについては300万円以上払ってでも絶対に欲しいと。それが本音だと思いますね。

 来季から新しく2チームが加わる点も影響しましたね。1つのチームがレギュラーシーズンにこなす試合数も40試合から44試合に増える。そういう意味では、タフな選手じゃないとやっていけない。
 また、選手を見極める時間も少なかった。全体トライアウトでは参加人数が多く、時間も短いので、一人一人をじっくり見る時間がない。それで選手の特徴を把握しきれなかったのでしょう。

 毎年トライアウトを実施してきましたが、今ドラフトで指名人数が少なかったからといって、トライアウトに参加した選手のレベルが落ちているとは全く思っていません。逆に、毎年レベルは上がっている。ただ、過去の2シーズンを通して、各チームのHCやGMがファイナルやプレーオフで活躍できるような選手はどれくらいの実力が必要かということもわかってきたため、審査が厳しくなったのです。

 それにしても、今ドラフトでは方針が明確なチームが多かったですね。大分は最多の8人、新潟や高松も6人をプロテクトしたでしょう。その時点で、ドラフト会議では絶対に選手を獲らないことは目に見えていた。

 結局、7人しか指名されなかったのだから、彼らは喜んでいることでしょう。ドラフトで数多くの選手が指名されて、チームトライアウトで獲る選手がいなくなる懸念がありましたからね。そこはチーム間の駆け引きです。プロテクト人数が決まった時点で今シーズンの試合が始まっているということなんですね。

 今後、各チームはチームトライアウトで、A契約で獲る選手、B契約で獲る選手をしっかりと見極めるものと思います。僕は、そこで17人から20人弱は選ばれるものと確信していますよ。

 ドラフト会議で指名された人数が少なかったことは、トライアウトに熱意を持ってチャレンジしてくれた若い人たちに申し訳ないです。ただ、「プロはこれだけ厳しいのか。もっと鍛えなくてはいけない」と前向きな捉え方をしてもらいたい。そして、チームトライアウトで精一杯頑張って欲しいですね。

(後編に続く)

<河内敏光(かわち・としみつ)プロフィール>
1954年5月7日、東京都生まれ。三井生命で約10年間選手として活躍の後、全日本チームの監督を務める。2000年「新潟アルビレックス」を結成し、(株)新潟スポーツプロモーションの社長に就任。04年11月、コミッショナーとしてbjリーグを立ち上げ、05年3月に(株)日本プロバスケットボールリーグ社長に就任した。著書に「意地を通せば夢は叶う!〜bjリーグの奇跡〜」(東洋経済新報社)。

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