剛速球で甲子園を沸かせた高校生投手といえば、近年では寺原隼人(日南学園高、現オリックス)、由規(仙台育英高、現東京ヤクルト)、菊池雄星(花巻東高、現埼玉西武)らの名前があがる。いずれも150キロ台のストレートを投げ、話題になった。だが、スピードガンが普及していない時代まで遡ると、やはり「“怪物”江川卓が最も速かった」と証言する元選手、関係者が圧倒的だ。3年春のセンバツでは4試合で60三振(現在も大会記録)を奪うなど、数々の伝説を残した江川本人に当時を改めて振り返ってもらった。
(写真:剛速球を生み出した独特の握りや投げ方も明らかに)
二宮: 江川さんのボールが最も速かったのはいつか。横浜高の渡辺元智監督は「2年秋の関東大会で対戦した時が一番速かった」と証言しています。ご自身ではいかがですか。
江川: たぶん、初めての対戦でそう思っただけでしょう(笑)。僕の意識の中では、野球人生で「速い」と感じた時期が3回あります。最初が高校2年の夏、2度目が大学4年、3度目がプロに入って20勝をあげた年(1981年)です。

二宮: ご自身の感覚では高校2年の秋ではなく夏だと? でも、この時、作新学院は甲子園に出場していませんね。
江川: 予選では初戦がノーヒットノーラン、次が完全試合、準々決勝がノーヒットノーランでした。準決勝の小山高戦でも延長10回2死まではノーヒットノーランでしたね。そこでポテンヒットを打たれたんですけど、そこまで37イニングノーヒットに抑えていましたから。11回にスクイズを決められて0−1でサヨナラ負けしました。どこかで1点とれていれば、もしかしたらノーヒットのまま甲子園に行けたかもしれない(笑)。そのくらいボールは良かったですよ。

二宮: そのストレートの投げ方ですが、江川さんは縫い目への指のかけ方が違うと聞いたことがあります。
江川: そうですね。普通のストレートの握りは、縫い目が丸く円状になっている部分を右に出します。僕はその反対で左側に出すんです。僕は指が長いタイプではないので、こちらのほうが握りやすくて指にもかかりやすかった。自然とこの握りになりましたね。

二宮: 高校時代の江川さんは足を大きく上げるダイナミックなフォームが印象的でした。対戦したバッターに聞くと、右足がグワーッと上がって江川さんが近くに迫ってくる感じがして圧倒されたと印象を語っています。
江川: これも自己流のフォームですね。野球をやりながら、陸上で400m走やハードルもやっていたんでバネがあったんですよ。高校時代には100mを11秒台で走っていましたから。

二宮: 野球だけでなく陸上も本気で取り組んだら“怪物”と呼ばれていたかもしれない。
江川: 田舎ですけど小学校時代は幅跳びで記録をつくりましたよ。最初はソフトボール投げで、小学3年なのに上級生よりも記録が良かった。4年の時には大会記録もつくったんで、翌年は先生方に「もう別の種目に出てくれ」と言われてしまったんです(苦笑)。それで幅跳びに挑戦したら、今度はそっちで記録を塗り替えてしまった。

二宮: 高校時代、自分のボールを完璧に打たれた記憶はありますか?
江川: 九州遠征に行った際の練習試合でレフトにホームランを1本打たれたんですけど、それだけですね。公式戦ではホームランは0本です。

二宮: 奪三振の大会記録もつくったように、やはり三振にはこだわりがあったと?
江川: そうですね。同じ三振でも見逃しはあまり好きではない。バッターが狙っているところへ投げて空振りさせるのが一番楽しかったですね。高校時代は27三振をとろうと思って投げたことが何回もあります。でも、練習試合で23個、公式戦では21個が最高で1回も達成できなかった。三振をとるのは難しいと感じましたね。だからこそ、やりがいもあったのだと思います。

<現在発売中の『文藝春秋』2011年10月号では「プロ野球伝説の検証」と題し、元広島・達川光男さんらの証言も交えて江川さんの高校時代のピッチングについて迫っています。こちらも併せてご覧ください>