これで見納めかと思うと、柄にもなく感傷的な気分になる。日曜日、プロレスラーの天龍源一郎は両国国技館でのオカダ・カズチカ戦を最後にリングを去る。力士時代も含めると52年間にも及ぶ格闘人生に幕を引く。

 

「寂しさは?」と問うと、携帯電話の向こうから、くぐもった声が返ってきた。「全然ないね。もう格闘技はやり尽くした。それよりも解放感の方が強いね」

 

 大相撲で13年、プロレスで39年。本人によると「もう腹いっぱい」闘ってきた。「今まではこれが終われば次、また次とオレの人生はエンドレスだった。それにやっと終止符が打つことができる。思い残すことなんてないよ」

 

 気風の良さと男っぷりで知られた天龍には「永遠の憧れの人」がいる。大横綱・大鵬だ。「若い頃にオレは大鵬さんを見てしまった。あまりにも凄い人を見ちゃったんだよね」

 

 幕下時代、天龍は大鵬の付け人をしていた。「大鵬さんの何が凄いって、巡業先で豊山、佐田の山、栃ノ海、栃光、北葉山の5大関相手に40番取っても1番も負けなかった。時間にして約1時間半。オレたちがもっと驚いたのは稽古直後。大鵬さんは稽古前に口に含んでいた水をピュッと吐き出した。つまり5大関を相手にしながら、少しも息が乱れなかったんだ」

 

 天龍が言うには、土俵の外でも大鵬は「別格」だった。部屋の若い衆がサパークラブで飲んでいた時のことだ。フラリと横綱がやってきた。時計の針はてっぺんを回っていた。酔いが覚めた天龍たちは客席の後方に隠れた。それを見た大鵬は怒るでもなく財布をポンとよこして、諭すようにこう告げたという。「このカネでタクシーを拾って帰れ。オマエたちはこれから強くなるんだ。体を悪くして、どうする」

 

 振り返って天龍は語る。「大鵬さんが手ぶらで帰ってきたのは見たことがない。場所中は必ず12時前に帰ってきて、“おい、食べろ。大きくなれ”と折詰の寿司をこっそり手渡してくれた。それくらい後輩思いだったんだよ」

 

 大鵬が「昭和の大横綱」なら、その薫陶を受けた天龍は「昭和の名レスラー」だ。「オカダ・カズチカは平成のスターだよ。でもオレには昭和のプロレスしかできない。女房には“自分の足で歩いて帰ってきてね”とだけ言われている。真正面からガンガンいくよ」。昭和の残照が、また一つ消える。

 

<この原稿は15年11月11日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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