2000年代に入ってから日本における“オリンピックの顔”と言えば競泳の北島康介だった。
100メートル平泳ぎ、200メートル平泳ぎで04年アテネ大会に続き、08年北京大会も連覇した。
その北島がリオデジャネイロ五輪代表の出場権獲得に失敗したのを機に、現役引退を発表した。
引退会見では恩師である平井伯昌コーチ(現競泳日本代表ヘッドコーチ)の名前を何度も口にした。
「平井先生が北島康介というレールをつくってくれた。一緒に五輪や金メダルを目指そうと言われて半信半疑だったが、自分の夢を実現できると思わせてくれた」
「平井先生に指導してもらって、指導者になりたいと思った事はない。僕の中で一番のコーチは平井先生」
平井との出会いは20年前に遡る。北島が中2の時だ。
どんな第一印象を抱いたか。以前、平井に訊いたことがある。
「東京スイミングセンターで開催した全国大会の時のことです。康介は無口で練習ではまったく目立たない選手でしたが、本番では練習で見せたことがないような顔をしていました。
そして、ゴーグルをつける時の目を見たら、とても目力が強かったんです。“ひょっとしたら内面が強い子かもしれない”と感じました」
目は口ほどに物を言う――ということわざがあるが、それはスポーツの世界においても例外ではない。
「当時、シドニー五輪に向けた選手育成をテーマに、コーチ陣で話し合った際、“康介はどうかな”と言ったら、みんなは“康介は体が硬いし、将来性は……”と、あまり評価は高くなかった。僕が“そんなことはない”と言っても、“目力がある”というだけでは、どうにも証拠が弱い(笑)。
そうこうするうちに、康介は頭角を現すようになり、中学3年の時には全国大会で優勝したんです」
平井との出会いがなかったら、今の北島はないだろう。それは平井についても同じことが言える。理想の師弟関係の姿がここにある。
若くして伝説の色に染め上げられた最強のスイマーは、この先、どこに向かうのか。
「今は自分の会社に目を向けてやっていけたらと思う」
北島は会社の経営者としての顔も持つ。スイミングスクールやトレーニングジムの運営などを手掛けている。今後はビジネスの世界での金メダルを目指す。
<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2016年5月6日号に掲載されたものです>
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