サッカー元日本代表の北澤豪といえば、運動量の豊富さが印象に残っている。無類のタフネスを武器に、“中盤のダイナモ”と呼ばれた。

 

 

 W杯にこそ出場できなかったものの、1994年米国W杯出場にあと一歩と迫ったアジア地区最終予選ではオフト・ジャパンの主力として攻守に渡って活躍した。いわゆる“ドーハ組”の1人である。

 

 Jリーグがスタートした頃は、トレードマークのロングヘアに注目が集まった。スターぞろいのヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)にあってカズ(三浦知良)やラモス瑠偉に劣らない人気を誇った。

 

 その北澤は引退後も、ピッチの外で縦横無尽の活躍を演じている。この4月には日本障がい者サッカー連盟(JIFF)の初代会長に就任した。

 

 JIFFといっても、どんな組織の集合体なのか、一般の人にはわかりにくい。そこで調べてみると日本アンプティサッカー(切断障がい)協会、日本CPサッカー(脳性まひ)協会、日本ソーシャルフットボール(精神障がい)協会、日本知的障がい者サッカー連盟、日本電動車椅子サッカー協会、日本ブラインドサッカー協会、日本ろう者サッカー協会の7協会で構成されていることがわかった。

 

 北澤の仕事はこの7団体の意見を集約し、日本サッカー協会(JFA)の協力を仰ぐことだ。JIFFから出たボールをJFAにつなぐパサーとしての役割が求められる。

 

 北澤はこう抱負を口にした。

「各サッカーの団体にも、日本代表はある。残念ながらブラインドサッカーとCPサッカーはパラリンピック予選で負けてしまった。しかし、世界を目指しているのはこの2つの団体だけではない。

 ただ世界と戦うための強化資金は決して恵まれたものではない。私としては、そこをお手伝いしていきたい」

 

 では、パスの受け手となるJFAの反応はどうか。

「サッカーの力を我々は信じ、今後もJIFFをサポートしていきたい」(JFA田嶋幸三会長)

 

 現在、各団体の日本代表は別々のユニホームを着用している。これを一本化できないものか、と北澤は考えている。

 

「サッカーファミリーを増やすためにも同じユニホームを着て、同じ夢を追う。

 これをやることで、サポーターが増え、多くの方々に(障がい者サッカーを)知って頂くことにつながっていく。さらには参加者や協力者も増えていくのではないでしょうか」

 

ユニホームのバリアフリー化を通じてJIFFへの関心、理解が一層深まることは間違いあるまい。

 

 そして、こんな持論も。「誰もが、いつでもどこでもサッカーを通して明るく楽しく生活できるような環境を作らなければいけない。これは年齢、性別、人種に関わらず、そして地方格差がないように活動していかなければならない。サッカーならどんな障がいをも乗り越えていけると思っています」

 

 47歳はピッチの外でも走り続ける。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2016年4月24日号に掲載されたものです>

 


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