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(写真:4度目の優勝をブースターと喜ぶ沖縄の伊佐HC<前列右から3番目>とメンバー)

 15日、東京・有明コロシアムで「ターキッシュ エアラインズ bjリーグ ファイナルズ2016」最終日が行われ、ファイナルはウエスタン王者の琉球ゴールデンキングス(沖縄)がイースタンを制した富山グラウジーズを86-74で破った。沖縄は2季ぶり4度目の優勝。通算優勝回数はリーグ史上最多となった。プレイオフMVPには2試合連続でダブルダブルを記録した沖縄のイバン・ラバネルが選ばれた。3位決定戦ではイースタンの秋田ノーザンハピネッツがウェスタンの京都ハンナリーズを122−74で下した。

 

◇ファイナル
 MVP・ラバネル、22得点12Rのダブルダブル
琉球ゴールデンキングス 86−74 富山グラウジーズ
【第1Q】22−17【第2Q】17−16【第3Q】21−19【第4Q】26−22

 

 生まれ変わったキングスが、初戴冠を狙ったグラウジーズを下して王座に返り咲いた。

 

 金の沖縄と赤の富山。2色に分かれたブースターが大きな声援を送る中、bjリーグラストマッチとなる15-16シーズンのファイナルがスタートした。最初にスコアボードを動かしたのは富山だ。開始早々、ポイントガード(PG)水戸健史、センターフォワード(CF)サム・ウィラードの連続得点で4-0とリードを奪う。

 

 沖縄もフォワード(F)アンソニー・マクヘンリーのゴールなどで一時は同点に追いつくが、富山のシューティングガード(SG)城宝匡史にカットインから得点を許す。なかなか流れを掴めない沖縄は、スピードのあるガード(G)山内盛久を投入した。前日のカンファレンスファイナルで無得点に終わっていた山内は、雪辱に燃えていた。「昨日、自分のパフォーマンスが全然良くなかったので、何かチームに貢献できればと強い気持ちでファーストショットを強気に狙っていこうと思っていました」。その言葉通り、外でフリーになると思い切り良くシュートを放ち、スリーポイントを決めた。

 

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(写真:シューターの喜多川は昨年はアイシンでNBLを制覇した)

 第1クォーター(Q)は競った展開となり、膠着状態が続く。17-17からしばらく得点が動かぬまま試合は推移した。するとG岸本隆一のアシストからラバネルがジャンプシュートを決めて、沖縄が19-17とリードを奪った。さらにはG津山尚大の3ポイントが飛び出し22-17と5点リードで終了。続く第2Qは突き放しにかかる沖縄に富山が食らいつく。沖縄がマクヘンリー、ラバネルのインサイドを制圧し、F喜多川修平がアウトサイドからシュートを沈める。一方の富山は城宝、ウィラード、Fドリュー・ヴァイニーを軸にスコアを伸ばす。39-33と沖縄が6点リードで試合を折り返す。

 

 ハーフタイム明け、沖縄はラバネル、マクヘンリーのコンビで45-33と12点差をつける。富山の初優勝が一気に遠のいたが、大阪エヴェッサ時代に優勝を知る城宝が奮起して巻き返す。自陣でボールを奪い取ると、そのままゴールへ流し込んだ。今シーズンのベスト5にも選出されたスコアラーは、直後にマークを引き付けてアシスト。負けているからといって、焦って自分勝手なプレーをしない。ベテランは冷静さでチームを引っ張った。

 

 今シーズンから人もボールも動くバスケットを標榜する沖縄。流動的に動きながら、ボールを散らすことでフリーを作る。第3Qはそれがハマったのか、面白いように3ポイントが決まる。津山が2本、ラバネルがブザービーターを決めて60-52でラスト10分を迎えた。運動量の多い沖縄のバスケットだが、シュート精度を落としていったのは富山の方だった。沖縄が10点差をキープしつつ、時計の針を進めていく。喜多川、ラバネルが第4Qだけで9得点ずつ奪うなど、終わってみれば86-74の快勝だった。

 

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(写真:トリプルダブルとMVP級の活躍を見せたマクヘンリー<左>とMVPのラバネル)

 昨年は浜松に敗れ、有明に辿り着くことができなかった。伊佐勉HCはオフェンススタイルを一新。しかし、フィットするには時間がかかり、前半戦で7敗するなど苦戦が続いた。「やめてしまおうかなと思った」と伊佐HCは明かす。「選手たちがシステムを信じてくれた。やり続ければ結果はついてくる」。後半に入り、機能し始めると自信を深めていった。富山とのファイナルでも、ニュー沖縄スタイルは発揮された。伊佐HCは「富山さんの足が止まってくる。やり続けよう」と選手たちを鼓舞し、追いすがる富山を後半に引き離した。伊佐HCは「選手たちが僕の考えを100%遂行してくれた」と称える。

 

 これで沖縄は大阪、浜松・東三河フェニックスを突き放し、単独最多となる4度目のチャンピオンリングを手に入れた。「何が何でもひとつ抜け出してbjリーグに琉球ゴールデンキングスがあったということを証明したかった」と伊佐HC。秋からはNBLとの統合リーグ「B.LEAGUE」に参戦する。bjの最後を締めくくった沖縄。熱狂的なブースターの声援に乗って、新リーグでもコートを躍動する。

 

 多くの足跡を残した11年

 

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(写真:1万人を超えるブースターに感謝の意を投げかける河内コミッショナー)

 日本初のプロバスケットボールリーグが11年の歴史に幕を閉じた。表彰式終了後にはbjリーグファイナルセレモニーが行われた。リーグ生みの親である河内敏光コミッショナーは「バスケット界は新しいステージへと向かいます。“バスケットボールをスポーツエンタテインメントとしたい”“日本代表を強くしたい”“オリンピックなどの国際舞台で日本字選手の活躍を見たい”。そう言ってきた私たちの夢も今後はB.LEAGUEも引き継いでくれると思っています」と挨拶を述べた。

 

 2005年11月5日に仙台89ERS、新潟アルビレックス、埼玉ブロンコス、東京アパッチ、大阪エヴェッサ、大分ヒートデビルズの6チームで開幕を迎えたbjリーグ。11年の時を経て、目標である47都道府県の半数、24都府県のチームまで拡大・成長を遂げた。

 

「企業スポーツのままでは存続できない」との思いからスタートしたbjリーグ。河内コミッショナーは今シーズン開幕前に「6チームでスタートした時はどうなるのかという不安が6割。“10年を目処に24チームにもっていこう”とは言いましたが、10年続くかどうか、24チームになるかどうか。それは不安の方が大きかった」と明かしていた。

 

 “バスケットボールがしたいやつ集まれ”の掛け声のもと、日本国内に限らずアメリカにいる選手も集められた。初年度からプレーする仲西淳(ライジング福岡)は高校大学をアメリカで過ごした逆輸入プレーヤーだ。仲西は「選手としてもひとりの人間としても成長させてもらった」と語り、日本に戻ってきたことは「間違いではなかった」と振り返っていた。与那嶺翼(金沢武士団)は開幕戦をテレビで観て、一般企業への就職を翻意した。ファイナルでプレーした沖縄の山内は、専門学校卒業後、一度は就職をしたが、その後、プロバスケットボールプレーヤーに“転職”した。多くのバスケットボール選手たちの受け皿、居場所をつくったことはbjリーグの功績のひとつだ。

 

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(写真:最後は全員で三本締めを行った)

 初年度から仙台のHCを務めた京都の浜口炎HCは「bjリーグが大きくなったからこそ、来シーズンひとつになるステップになった」と口にする。初年度はプレーヤーとしてコートに立ち、ラストシーズンはHCとして迎えた秋田の長谷川HCは「プロを目指す子どもたちはたくさんいます。そう思えるようになったのはbjリーグができたからこそ。なおかつ日本のバスケット界のレベルが上がってきたのもbjリーグができたからだと思っています。日本のバスケット界に大きな影響を与えたリーグ」と語った。

 

 新リーグ設立を機にひとつの歴史に終止符が打たれた。bjリーグ、NBLという2つのリーグの統合により新しい歴史紡ぎだされる。河内コミッショナーは「新しいバスケット界の発展には皆様の力が必要です。bjリーグをここまで育てていただいたブースターの皆様の力があればバスケットボール界の未来は明るいと確信しています。今日でbjリーグは終わりますが、バスケット界はこれからです」と締めくくった。

 

(文・写真/杉浦泰介)