今年はヴィクトル・スタルヒン生誕100周年ということもあって、いくつものメディアが、この大投手に関する番組や特集記事を予定している。そんな折、北海道日本ハムが6月7日、旭川スタルヒン球場で行う広島戦を「スタルヒン氏生誕100周年記念試合」と銘打つことを発表した。

 

 言うまでもなくNPB史上初の300勝投手。巨人のエースとして1939年には42勝(15敗)をあげている。通算303勝(176敗)は史上6位だ。

 

 スタルヒンは9歳の時、両親に連れられてロシアから北海道に亡命してきた「白系ロシア人」。日本では「無国籍」であったため、戦時中は「敵性外国人」として特高警察から監視対象にされた。

 

 スタルヒンの実力がいかに突出していたか。巨人の後輩たちから証言を集めたことがある。まずは310勝投手の別所毅彦。「ボールを離す瞬間、ツメとボールの縫い目のこすれる音がした。その音がベンチにいても聞こえるくらい大きかった。外角低めと内角高めのストレートしか投げないのに、全く打たれなかったな」

 

 続いてセカンドを守っていた千葉茂。「スタちゃんのボールは、ちょうど電信柱の上からくるような感じやったな。あれだけ角度のあるボールを投げられたピッチャーは他におらん。当時の打者にはボール球を打つな、怖がるな、遅れるなという“三禁”があった。彼はコントロールがいい上に角度があって怖い、バットを遅らせるスピードがある。三禁を打ち破る条件を全て揃えとったよ」

 

 元パ・リーグ広報部長の伊東一雄には審判員・井野川利春から聞いたという話を教えてもらった。「井野川さんは現役時代はキャッチャーで、沢村栄治の全盛期のボールもスタルヒンのボールも受けている。その井野川さんは“沢村のボールはスパッと小気味はよかったけど軽くて怖さはなかった。一方、スタちゃんのはミットがズシンズシンと響く感じがするので捕るのが怖かった”と語っていたよ」

 

 実働19年間で達成した多くの記録が塗り替えられるなか、ひとつだけ残っているのが通算83完封である。これに迫ったのが400勝投手の金田正一だが、ひとつ及ばなかった。

 

 大投手の名が冠せられた球場での試合なれば両先発投手とも完封を狙って欲しい。それがスタルヒンへの何よりの供養となる。

 

<この原稿は16年5月25日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから