ポスティングシステム(入札制度)を使ってメジャーリーグ行きを模索していたイチローの受け入れ先は予想通りシアトル・マリナーズだった。

<この原稿は2001年1月の『月刊現代』に掲載されたものを一部再構成したものです>

 

 移籍金にあたる入札額は1312万5000ドル(約14億円)。これはすべてオリックス球団が手にすることになる。14億円といえば、イチローの年俸を除いたオリックス全選手の今季の年俸総額に相当する。年俸は4年契約450万ドル(1年で約4億8000万円)、出来高を入れると総額2600万ドル(約28億円・推定)。

 

「どんな選手を獲得するときにもリスクがあるもの。でも、我々はそれを背負ってでも獲得にするに値すると判断した」

 とはマリナーズのパット・ギリックGM。

 

「イチローはパワー以外のすべてを兼ね備えている。ミートがうまく、守備もメジャーでは平均以上。1番か2番でライトを予定している」とレギュラーのお墨付きまで与えた。

 

 マリナーズは今年、91勝71敗の好成績でワイルドカードを得てポストシーズンゲームに進出した。リーグチャンピオンシップでニューヨーク・ヤンキースに敗れたものの健闘の光ったシーズンだった。もちろん2勝5敗7セーブの成績で新人王に輝いた日本人クローザー・佐々木主浩の奮闘を忘れるわけにはいかない。

 

 さて本題だが、果たしてイチローはメジャーで活躍できるのか。

 

 答えは「YES」である。

 

 まずはアウトフィールダー(外野手)としての能力を見た場合、肩、足、守備のセンス、どれをとってもメジャーの一流どころに比べて引けをとるものではない。広いスタジアムを舞台とすることで、さらに潜在能力が花開く可能性すらある。

 

 続いてバッターとしての才能だが、これは守備よりもさらに非凡だ。バットコントロールの巧さはメジャーリーグでもトップクラス。マリナーズには93年、打率3割6分3厘で首位打者に輝いたジョン・オルルッドという好打者がいるが、長打力はともかく、野手の間を抜いたり、塁間に速い打球を走らせる技術に関しては甲乙付け難い。

 

 かつて野茂英雄に「イチローをメジャーリーガーにたとえたら、誰でしょう?」と聞くと「強いて言えばケニー・ロフトンですかね」という答えが返ってきた。

 

 ロフトン(インディアンズ)といえば俊足、強肩、好打の90年代のメジャーリーグを代表するリードオフマン。ロフトンは94年の3割4分9厘を最高に過去6度、3割台をマークしているが、私が考える彼のキャリアハイは96年シーズン。154試合に出場し、打率3割1分7厘、14本塁打、67打点、75盗塁。安打数はイチローが94年にマークしたのと同数の210安打だ。

 

 メジャーリーグでは日本のように、トップバッターからちょっとパワーが増したからといって3番を打たせたり、4番に転向させたりすることはない。メジャーでの実動9年間で通算1507安打をマークしているロフトンにしても、クリーンアップヒッターの任務を負わされたことはないのではないか。

 

 その点、日本のバッターは気の毒である。俊足、好打の典型的なリードオフマンが、ちょっと腕が太くなったという理由だけで、無理やり3番に“昇格”させられる。たとえばライオンズのスイッチヒッター松井稼頭央は俊足でパンチのある、ワールドクラスの素質を秘めたリードオフマンだが、パワーヒッターがいないというチーム事情の“犠牲者”として、昨シーズンは4番に座らされることがままあった。

 

 4番に座らされれば、当然、打法の改善を余儀なくされる。長打を求められるため自ずとスイングが大きくなり、それが原因で自らの持ち味を殺してしまった選手を、私は何人も知っている。小は大を兼ねないのである。

 

 翻ってメジャーリーグにおいては、その選手の適正に合わせた打順が用意される。言うまでもなくイチローは1、2番タイプだ。ワールドシリーズ出場を狙うチームにあっては、打率3割、50盗塁がノルマとなるだろう。また、その数字を実現可能なものと判断したからこそマリナーズは14億円という巨額の移籍金を支払ったのだろう。

 

 マリナーズにはマイク・キャメロンという俊足、好打のアウトフィルダー(センター)がいるが、そのキャメロンにしても昨シーズンの成績は2割6分7厘、19本塁打、78打点とチャンスメーカーとしては確実性が足りない。イチローがトップを打つのは、ほぼ確定的と見ていいだろう。

 

 イチローのこれまでの成績を見ていて、ひとつ気になるのは、彼の走力を考えれば盗塁数が少ないのではないか、ということである。これまでの最高は盗塁王に輝いた95年の49。98年は11、99年は12にまで落ち込んだ。

 

 もっとも、これには理由がある。先述したように本来のトップではなく3番を任せられることが多くなり、今年は4番に定着した。チーム事情によるものだが、チャンスメーカーからポイントゲッターへの転向は、才能に恵まれたイチローだからこなせることであり、決して本意ではなかったはずだ。

 

 アメリカのピッチャーは日本のピッチャーに比べてクイックは雑である。牽制も日本ほどしつこくない。ただし、キャッチャーの肩の強さ、スナップスローの正確さは日本人キャッチャーの比ではない。つまり、走る上ではプラス材料もあれば、マイナス材料もある。

 

 それでも盗塁数は増えると私は見る。イチローのモチベーションがそうさせると思うのだ。

 

 巨人の工藤公康がこんなエピソードを披露した。

「アイツの塁に出よう、ヒットにしようという執念はすごいですよ。ファーストベースに飛び込むとき、“セーフ”と大声を発するんですから。その声に驚いて、審判が両手を左右に開くことがよくありましたよ」

 

 イチローが実質的なプロデビューを果たしたのは94年だが、この年、イチローは日本記録の210安打をマークしているのだ。

 

「センター前ヒットなら、いつでも打つことができる」

 そう彼は語っていた。

 

 レギュラーの座を不動のものとするため、この頃のイチローはセンター返しを自らのバッティングの基本に定めていた。内野安打も多く、ボテボテのゴロはほとんどヒットになっていた。この年、イチローは3割8分5厘をマークした。

 

 実はイチローには94年とほぼ同じ成績を残したシーズンが過去に一度だけ存在する。2000年シーズン、すなわち日本での最後のシーズンだ。両シーズンの成績を見比べてみよう。

 

94年 打率3割8分5厘 13本塁打 54打点 29盗塁

00年    打率3割8分7厘 12本塁打 78打点 21盗塁

 

 94年が130試合だったのに対し、00年は105試合。94年が1番で00年が4番。大きな差は打点だけだが、それは打順に起因すると考えていい。

 

 注目してほしいのは打率と盗塁数だ。4番に座りながら、これだけのハイアベレージを維持し、盗塁も3年ぶりに20を超えた。

 

 実質的なデビューのシーズンと最後のシーズンの成績が似かよっているのは、単なる偶然だろうか。私にはこの2つのシーズンこそがイチローの野球の原点のような気がしてならないのだ。すなわち生粋のリードオフマンがイチローの実像だということである。

 

 メジャーでのデビュー戦、ピッチャーがストライクさえ投げれば、イチローはセンター前の芝に球足の速いゴロを躍らせてみせるだろう。これは私の確信に近い予言である。

 

(おわり)


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