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 開幕まで数日に迫ったリオデジャネイロ五輪。当HPでは『リオの音色』をスタートし、リオオリンピックはもちろんパラリンピックにまつわるコラムやニュースを大会終了までお届けしていきます。第1回は競泳日本代表のエース萩野公介(東洋大)選手の特集です。

 

 4年前のロンドン五輪で日本選手団はメダル総数38個(金7、銀14、銅17)を獲得した。これは2004年のアテネ五輪で記録した37個を上回る過去最多だった。中でもロンドンでの好成績に一役買ったのがトビウオジャパン(競泳日本代表の愛称)であることに異論はないだろう。トビウオジャパンはロンドンで戦後最多となる11個のメダルを獲得。総数の3割近くを荒稼ぎした。

 

 大会序盤に登場する競泳陣には日本選手団全体を勢いづけるような役割を求められている。トビウオジャパンが波に乗るためにも初日の結果がカギを握る。平井伯昌監督はスタートダッシュの重要性をこう説く。

「ロンドンは萩野がメダルを獲って、“いけるぞ”という勢いになった。初日の勢いはとても大切です」

 

 4年前、当時高校3年だった萩野は五輪デビューながら見事な泳ぎを見せた。男子400メートル個人メドレー決勝で4分8秒94の日本新記録をマークし、3位に入った。これは“水の怪物”マイケル・フェルプス(アメリカ)を破ってのもの。男子高校生でのメダル獲得は56年ぶりで、あの北島康介ですらなし得なかった快挙である。その後のトビウオジャパンの躍進に火を付けた。

 

 リオ五輪でも競泳競技初日(7日)に男子400メートル個人メドレーが行われる。ロンドンで男子最年少だった萩野は、リオではトビウオジャパンのエースとしてスタート台に立つ。今シーズンの世界ランキングでは1位。堂々の金メダル候補だ。萩野は「やるべきことはやってきたつもりです。あとは本番で実力を発揮するだけだと思うのですごく楽しみ。目標はもちろん優勝。全力を尽くしたい」と意気込んでいる。

 

 真のナンバーワンへ

 

160802rio2 これまでトビウオジャパンの大黒柱として君臨していた北島は今年4月に現役を引退した。平井監督が「北島が予選で一発泳ぐとみんなが落ち着いていた」と証言するように、その存在感は絶大だった。萩野も「練習を共にさせていただいて、合宿でも同じ部屋になることがありました。いろいろな部分を見る機会があった。練習に対するストイックさもそうですが、人間的な部分の素晴らしさが自分の心に残っている。競技者としての素晴らしさはもちろんのこと、北島さんのような人間になりたいと心の底から思いました」と尊敬してやまない。

 

 今度は萩野がチームを引っ張る番だ。その実力は十分にあると言っていい。北島ら数々の五輪メダリストを育ててきた名伯楽・平井監督は萩野の才能をこう評価する。

「すごく水泳に対して真面目に取り組みます。きつい練習でも文句も言わず前向きに臨んでくれる。コーチとして感心する部分もあります。いい選手はやればやるほど良さが見えてくる。彼もそういう選手」

 

 萩野はロンドン五輪後、“本職”の個人メドレーにとどまらず、自由形や背泳ぎでもトップレベルの大会にエントリーしてきた。13年から日本選手権は5冠、4冠、4冠、3冠と複数種目で優勝し、他を圧倒している。国際大会でも数多のメダルを日本にもたらし、“和製フェルプス”の異名も伊達じゃない。

 

 その彼がひとつだけ手にしていないものが世界ナンバーワンの称号だ。世界記録はもちろんのこと五輪、世界選手権で表彰台の頂点に立ったことはない。世界選手権では同年代の瀬戸大也(JSS毛呂山)が男子400メートル個人メドレーで連覇を果たしている。昨年の世界選手権では直前合宿中のケガで挑戦することすらできなかった。幼き頃からのライバルに先を越され、内心は忸怩たる思いがあるはずだ。

 

 それゆえにリオは雪辱の場とも言える。ロンドンを制したライアン・ロクテ(アメリカ)はいなければ、フェルプスもいない。瀬戸とのマッチレースも予想されている。「センターポールに日の丸を」。ロンドンで叶えられなかったトビウオジャパンのスローガンだ。萩野はこれを実行してこそ、真のエースだと証明できる。

 

(文・写真/杉浦泰介、写真/安部晴奈)